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ことしの「歌会始」のお題は「光」で、全国と海外から合わせて2万2000首近い短歌が寄せられました。

皇居 宮殿の「松の間」では、はじめに入選した10人の歌が、天皇皇后両陛下や皇族方の前で古式にのっとって披露されました。

歌会始」は鎌倉時代には始まっていたとされる宮中の伝統行事で、毎年1月に天皇の定めるお題で行われてきましたが、ことし4月の天皇陛下の退位を前に、両陛下が臨まれるのは最後になりました。

秋田県大仙市の会社員、鈴木仁さん(58)は、福島県南相馬市津波で壊滅した漁港の近くに風力発電の風車が建てられていることに復興への希望を感じ「風光る 相馬の海に高々と 息を合はせて 風車を組めり」と詠みました。

岡山県倉敷市の中学校教諭、重藤洋子さん(58)は去年8月、広島市原爆資料館を訪れた生徒たちの成長を平和な時代が続くことへの願いを込めて「無言になり 原爆資料館を 出できたる 生徒を夏の 光に放つ」と詠みました。

続いて皇族方の歌が披露され、かぜのため欠席した皇太子妃の雅子さまは、お住まいの東宮御所の庭で両陛下が大切に育てられてきた白樺の木々が朝の光を受けて輝く様子を「大君と 母宮の愛でし 御園生(みそのふ)の 白樺冴ゆる 朝の光に」と詠んだ歌を寄せられました。

皇太子さまは、高校1年生の夏に山梨と長野の県境にある金峰山に登ったとき、山頂付近で日の光に導かれるように歩みを進めたときの印象を「雲間より さしたる光に 導かれ われ登りゆく 金峰(きんぷ)の峰に」と詠まれました。

皇后さまは、お住まいのバラ園の花が夕日に照らされ一輪一輪美しく咲く様子に、残された日々を大切に生きていこうと感じた時のことを「今しばし 生きなむと思ふ 寂光に 園(その)の薔薇(さうび)の みな美しく」と詠まれました。

最後に天皇陛下「贈られし ひまはりの種は 生え揃ひ 葉を広げゆく 初夏の光に」という歌が詠み上げられました。

この歌は阪神・淡路大震災の追悼式典に参列した際、小学6年生で亡くなった加藤はるかさんの自宅跡に咲いたひまわりの種を受け取り、その後、お住まいの庭で大切に育て続けてきたひまわりの成長の様子を詠まれたものです。

来年の歌会始のお題と応募要領はことし5月、皇太子さまが即位されたあと発表され、作品は9月30日まで受け付けられます。

天皇皇后両陛下は、これまでも歌会始にあたって心を寄せ続けている被災地について詠まれてきました。

平成14年の「春」のお題では、前の年に阪神・淡路大震災の被災地、兵庫県の淡路島を訪問された時の様子を、天皇陛下が「園児らと たいさんぼくを 植ゑにけり 地震(なゐ)ゆりし島の 春ふかみつつ」と詠まれました。

被災地に緑を取り戻すための植樹行事で、地域の子どもたちと初夏に花の咲くタイサンボクの木を植えたことを振り返られました。

平成18年の「笑み」のお題では、前の年、震災から10年を迎えた神戸市を訪れ市街地の復興ぶりを視察された時のことを、皇后さまが「笑み交(か)はし やがて涙の わきいづる 復興なりし 街を行きつつ」と詠まれました。

町で出会う人々と笑みを交わし復興の喜びを分かち合いながらも、それぞれの人が乗り越えてきた苦難を思い、涙ぐんだ記憶を歌にされました。

そして東日本大震災の翌年の平成24年に「岸」のお題で行われた歌会始では、お二人とも被災地について詠まれました。

天皇陛下は「津波来(こ)し 時の岸辺は 如何なりしと 見下ろす海は 青く静まる」と詠まれました。

震災の2か月後に岩手県の被災地を訪れた際、津波で大きな被害を受けた海岸沿いをヘリコプターで視察した時の印象を歌にされました。

皇后さまは「帰り来るを 立ちて待てるに 季(とき)のなく 岸とふ文字を 歳時記に見ず」と詠まれました。

津波で行方不明になった人を待つ家族など、季節を問わず誰かの帰りを岸辺で待つ人たちの姿に思いをはせられました。

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