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立命館大白川静名誉教授の名著「字通」によると、「令」とは、「礼冠をつけて、跪いて神意を聞く人の形。神官が目深に礼帽を著けて跪く形。神意を承ける象」(日本においては、八百万の神々に日々、世界の恒久平和と繁栄を祈っておられる神官の最高位・天皇陛下を意味している)という。

立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所は、故・白川静名誉教授(以下、白川静
博士)が築いた「白川文字学」にもとづき、「すばらしく、なごやかな時代」と読み解きました。

“令”は、象形で神官が冠をつけてひざまずいて神意を聞いている形です。古くは「令・命」二つの意味に用いています。元々は「神のおつげ」、そこから「おふれ」「いましめ、おしえ」「よい、ただしい、めでたい」「させる、いいつける」等の意味を表すようになりました。

“和”は、会意で「禾」+「口」で表されます。「禾」は軍門(陣営の門)のしるしの形であり、「口」は「誓いを収めた器」とされています。軍門の前で講和の誓いを行うと、平和になります。また別字に「龢」があり、「龠(やく)」は笛の象形で、「調和する」意味があります。

 新元号が「令和(れいわ)」だと知った当初はピンとこなかった。典拠は万葉集で、歌そのものではなく、漢文で書かれた序文が出典だというので、なおさら不思議に思ったのと同時に、興奮もした。出典とされたくだりでは、新年に人々が集まり、すがすがしい気持ちで梅の花をめでる歌をよむ。奈良時代の宮廷歌人たちの新年を迎える気分がよく伝わる場面だ。

 日本人の書く漢文、中国語には長い伝統がある。梅の花をめでる文化も中国大陸からきたものだ。「令和」の出典となったくだりには、そうした国際性と、やまと言葉で見事に柔らかい歌をよむ日本性が同時に感じられ、新時代を祝う考案者の意図に気づいた今は「なるほど」と感心している。

 万葉集の話題も含めて、作家の多和田葉子さんや温又柔(おん・ゆうじゅう)さんらと対談した日本文学論「バイリンガル・エキサイトメント」を3月に出したばかり。日本語では「多言語的高揚感」あるいは「異言語に触発された高揚感」と言えばいいだろうか。「令和」からもそうした高揚を感じる。いい元号ではないか。

「時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑く(き よく)風和ぎ(かぜ やわらぎ)、梅は鏡前の粉(こ)を披き(ひらき)、蘭は珮後(はいご)の香を薫す(かおらす)」

この序文について、「令和」を考案したとみられる中西進さんは、昭和59年の著書「萬葉集 全訳注 原文付」の中で次のように訳しています。

「時あたかも新春の好き月(よきつき)、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉(おしろい)のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている」

万葉集に書かれている序文について中西進さんは、著書「萬葉集 全訳注 原文付」の中で、中国の書家として名高い王羲之の書「蘭亭序(らんていのじょ)」の形式と同じだと指摘しています。

そのうえで、背景について「中国では唐の初めに漢詩に序をつけることが流行する。この傾向は万葉集の中にも入り込み、独特な表現様式を持つことになった」としています。

また、梅花の歌が詠まれた時代は「万葉のピーク」だったとして、「唐風にならい、仏教を受容しつつ国家的整備を進めた時代精神が支えた」と説明しています。

新しい元号「令和」の典拠となった万葉集は、奈良時代にまとめられた日本最古の和歌集で、全20巻に日本各地のおよそ4500首のうたが収められています。編さんには当時の歌人大伴家持が加わったとされています。

今回引用された序文は、天平二年正月13日、今の暦でいうと2月8日ごろ、家持の父親で当時、大宰府長官だった大伴旅人の邸宅で開かれた宴会でそこに集まった32人の役人が庭にある梅にまつわるうたを詠んだという状況がつづられています。

昭和天皇の和歌の相談役も務めた歌人岡野弘彦さんによりますと、序文は正月の気分を表したもので初春のさわやかさを伝えているということです。

岡野さんは、新元号万葉集から引用されたことについて「万葉集が作られたのは中国の文化をベースにして日本の文化が成熟してくる時期でした。今の日本の文化はそのころからみて長い伝統を築いてきており、日本風の感覚を大切に、長い歴史を持つ日本の古典を引用したことはよいことだと思います」と評価しました。

一方で、岡野さんは「われわれにもなかなか選ばれた意図が伝わりづらいので、より丁寧な説明はしてほしいです」と話していました。

大伴旅人が主催した宴会で詠まれた32首の中には、万葉集の代表的な歌人の1人山上憶良の歌も含まれています。

「春されば まづ咲く宿の梅の花 独り見つつや 春日暮さむ」

この歌について、中西さんは著書の中で、待望の春にいち早く咲くわが家の梅の花を1人で見て過ごすことなどできないという意味で、当時、中国から入ってきた来た珍しい木だった梅の花を、仲間とともに楽しみたいという心情をうたったと解説しています。

安倍総理大臣は、NHKのニュースウオッチ9で、新元号「令和」の選定の経過などを記した行政文書の公開の時期について、「基本的に30年ということで検討していくのだろうと思う」と述べ、30年程度は公開を控える必要があるという考えを示しました。

この中で、安倍総理大臣は、新元号の選定の手続きなどを記した行政文書の公開の時期について、「基本的に30年ということで検討していくのだろうと思う。考案された方々の名誉もあるので、30年という時は必要なのだろうというふうに思っている」と述べ、30年程度は公開を控える必要があるという考えを示しました。

また、安倍総理大臣は、新元号「令和」を初めて目にしたのは、先月に入ってからだったことを明らかにしたうえで、「学識のある方々に考案していただいた案があがってきた中で、官房長官が整理したものを一度報告として受けたが、その中に『令和』があった。説明を受け、大変、新鮮な響きがあるなと思った」と述べました。

また、日本の古典が出典の元号を初めて選んだことについて、安倍総理大臣は、各界の代表や有識者からなる「元号に関する懇談会」のメンバー全員に加え、閣僚のほとんどが、日本の古典から元号を選ぶよう求めていたなどと説明しました。

新しい元号を「令和」とすることが1日の臨時閣議で決定され、皇太子さまが新天皇に即位される来月1日に、元号は「令和」に改められます。

こうした中、新元号の選定作業で、政府が、各界の代表や有識者からなる「元号に関する懇談会」や全閣僚会議で示した6つの原案の中に▽「英弘」、また、読み方は明確ではありませんが、▽「広至(こうし、または、こうじ)」、▽「万和(ばんな、または、ばんわ)」、▽「万保(ばんほ、または、ばんほう)」の、4案が含まれていたことが分かりました。

また政府は、およそ2か月前から新元号の候補名を絞り込む作業を進め、発表の1週間ほど前には原案の数を6つに決めていたということです。

さらに6つの原案は、一枚の紙に典拠とともに五十音順に並べた形で懇談会の有識者などに示され、多くから「令和」を推す意見に加え、出典を日本の古典にするよう求める意見が出されたということです。

これを受けて、全閣僚会議では、杉田官房副長官が懇談会では「令和」に支持が集まったことを説明したあと、複数の閣僚が意見を述べましたが意見集約は行われず、最終的に安倍総理大臣に一任する形で「令和」が新元号に決まりました。

一方、「令和」の考案者は明らかにされていませんが、専門家の間では、万葉集が専門で、京都の研究機関の名誉教授を務める国文学者を有力視する意見が出ています。

元号の決定を受けて、政府は、今月30日の天皇陛下の退位と、来月1日の皇太子さまの即位に伴う一連の儀式を滞りなく実施できるよう、準備を加速させるとともに、新元号「令和」が多くの国民に受け入れられるよう、意味などを丁寧に説明していくことにしています。

内閣府の入府式には、この春採用された54人の新人が出席し、代表した石黒比佳理さんが「国民全体の奉仕者として、不偏不党かつ公正に職務の遂行にあたることをかたく誓います」と宣誓しました。

そして菅官房長官が訓示し「新元号は令和と決定された。歴史的な節目で採用された皆さんは新たな元号とともに国家公務員として歩みを進めていくことになる。

希望に満ちあふれた新しい時代を、国民全体の奉仕者として大いに頑張ってもらいたい」と述べました。

また「今月30日には憲政史上初めて天皇陛下が退位され、5月1日には皇太子殿下が即位される。歴史的な皇位の継承が、国民がこぞって祝福する中で、つつがなく執り行うことができるよう準備に万全を期していきたい」と述べました。