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元号選定手続」は昭和54年、「元号政令で定める」「元号皇位の継承があった場合に限り改める」という2つの項からなる元号法が成立したあと、改元の具体的な手順を定めたものとして閣議に報告されました。

その後、昭和天皇が亡くなられたあと、各界の代表や有識者からなる「元号に関する懇談会」を開き、意見を聞くことが追加されました。

元号選定手続」によりますと、新しい元号は4つの段階を経て選定されることになっています。

(1)まず新元号の考案です。
総理大臣が、新元号の考案者として高い識見をもつ人を若干名選び、新元号にふさわしい候補を2つから5つ程度提出するよう求めます。
提出にあたっては、その意味や「典拠」(いわゆる出典)などの説明をつけることとしています。

(2)次に「候補の整理」です。
官房長官が提出された新元号の候補を検討・整理して、総理大臣に報告します。

(3)そして「原案の選定作業」に移ります。
総理大臣の指示に基づき、官房長官内閣法制局長官の意見を聞き、候補の中から数個を原案として選びます。
その後、各界の代表や有識者からなる「元号に関する懇談会」を開き、原案に対する意見を求め、結果を総理大臣に報告します。
総理大臣は新元号の原案を衆参両院の正副議長に連絡して意見を聞くとともに、「全閣僚会議」で協議します。

(4)最後に、元号を改める政令閣議決定し、新元号は決まります。

元号を改める政令は皇居に運ばれ、天皇陛下の御名・御璽(署名となつ印)を得たうえで官報に掲載され、公布となります。

政令の付則には皇太子さまが即位される5月1日が施行日と記載され、元号が改められるのは1日の午前0時となります。

平成への改元では、昭和天皇が亡くなられた1989年1月7日午後に天皇陛下の御名・御璽を得て政令が即日公布され、翌8日の午前0時に元号が改められました。

元号の候補を考案するよう委嘱された有識者は、「典拠」(出典)をつけるよう求められます。

漢字をパズルのように組み合わせるのではなく、
▽古くから伝わる中国や日本のどの書物から引用したのか、
▽どのような意味が込められているのか、候補案とともに提出することとされています。

また、元号の候補案は次の6項目に留意して検討することとされています。
▽国民の理想としてふさわしいよい意味を持つこと、
▽漢字2文字であること、
▽書きやすいこと、
▽読みやすいこと、
▽過去に、元号や、天皇などの崩御後の呼び名「おくり名」として使われていないこと、
▽一般的に使われていないこと、の6項目です。

さらに平成への改元にあたっては、ローマ字で表記する時の頭文字も重視されたと言われています。

明治の「M」、大正の「T」、昭和の「S」。
使いやすさを考えて、この3つとは異なる、頭文字が「H」の平成が選ばれたとされています。

今回、政府は情報管理を徹底していて、政府高官は「事前に漏れて報道されるようなことがあれば必ず差し替える」と強調していました。

事前に漏れて商品名などで使われることや、イメージが事前につくことを避ける必要があるという判断もあったものとみられます。

元号は紀元前の中国、前漢武帝の時代に漢字と数字の組み合わせで年次を表したのが始まりとされます。

皇帝が領土や領民を時間的に統治するシンボルとして重要な意味を持ちました。

その後、アジアの漢字文化圏に広がり、日本では645年に孝徳天皇が「大化」と定めたのが最初です。

そして701年に文武天皇が「大宝」の元号を定めてからは、現在の「平成」に至るまで1300年以上にわたって続いています。

「平成」は「大化」から数えて247番目の元号です。

元号は、天皇の即位だけでなく自然災害やおめでたい兆しがあったことなどを理由にたびたび改められ、多い時には1人の天皇の時代に8つの元号が定められたこともありました。

こうした慣習を改めようと、「明治」への改元の際には天皇一代に元号1つと定める「一世一元制」が採用されました。

「一世一元制」は当時の皇室典範で明文化され、天皇の即位や元号の制定などについて規定した「登極令」で改元の時期や方法が定められました。

ところが戦後、旧皇室典範と「登極令」は廃止され、元号は法的な根拠を失います。

その後、元号の法制化を求める意見が強まると、昭和54年に「元号は、政令で定める」と「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」の2つの項からなる「元号法」が制定され、昭和から平成への改元で適用されました。

前回、平成への代替わりの際、政府は新元号選定の最終段階で「全閣僚会議」を開き、新しい元号を「平成」とする方針を固めたうえで臨時閣議に切り替えて、正式に決定しました。

元号の選定にあたって政府は前回の手続きを踏襲することにしていて、今回も「全閣僚会議」と閣議が開かれます。

2つの違いについて政府は、「全閣僚会議」は選定手続きの一環で閣僚から意見を聴く機会を設ける意味がある一方、閣議元号を決定する手続きとしています。

前回は情報漏れを防ぐため、当時の小渕官房長官が「平成」を発表するまで、閣僚は閣議が開かれる部屋の隣にある閣僚応接室から退出することが禁じられました。

▽NHK会長の上田良一氏
▽民放連=日本民間放送連盟会長の大久保好男氏
▽日本私立大学団体連合会の会長の鎌田薫氏
経団連名誉会長の榊原定征
日本新聞協会会長の白石興二郎
▽前の最高裁判所長官の寺田逸郎氏
▽作家の林真理子
千葉商科大学国際教養学部長の宮崎緑
京都大学iPS細胞研究所の所長の山中伸弥氏。

以上の9人となりました。



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日本の憲法学者早稲田大学政治経済学術院長と政治経済学部長、法務研究科の教授を兼任。新司法試験委員。 なお 新元号の令和とは無関係である。

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皆川玲奈「相受」

medaka.5ch.net

玲奈にしてくれや

時代は玲奈だわ

れなちゃん元年

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 終戦から1年あまり経た昭和21年11月9日午後8時、元滋賀県知事であり、近江神宮奉賛会副会長を務められ、また同年9月21日まで侍従次長であった稲田周一氏が、昭和天皇の御名代として近江神宮に参拝されました。
 当時の平田貫一宮司に対し「過日天皇陛下には総理以下重臣を召されて、異例のお言葉を賜った」と語り出し、「このたびの敗戦はまことに遺憾の極みであるが、1300年前の天智天皇の御時、唐・新羅の軍と白村江に戦って大敗した歴史がある。天智天皇は直ちに兵を撤せられ、国内諸政の一新を企てられ、文化を振興、国力の充実を図られた。これを模範として、諸政一新、文化経済を盛んにして永い将来に対処したいと強く念願しているから、一同もこの旨を体して大いに発奮努力して欲しい」との直話を賜り、近江神宮に参拝し神助を仰ぐよう、特命を頂いて参上したとのことでした。翌朝稲田氏は正式参拝し、昭和天皇の大御心をお伝え申し上げたのでした。

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何事をするにもよい月。めでたい月。

陰暦2月の異称。

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万葉集』の「巻五 梅花の歌三十二首并せて序」にある

初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。

より引用された。

blog.hix05.com

―太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる梅の花の歌三十二首、また序
天平二年正月の十三日、帥の老の宅に萃ひて、宴会を申ぶ。時に初春の令月、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。加以(しかのみにあらず)曙は嶺に雲を移し、松は羅を掛けて盖を傾け、夕岫に霧を結び、鳥はうすものに封りて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。是に天を盖にし地を坐にして、膝を促して觴を飛ばし、言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自放に、快然として自ら足れり。若し翰苑にあらずは、何を以てか情をのベむ。請ひて落梅の篇を紀さむと。古今それ何ぞ異ならむ。園梅を賦し、聊か短詠を成むベし。

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「あなたのために読みます」「あなたのために歌います」という言い方に胡散臭さを感じるかどうか。受け手を巻き込んだ物言いは自らの責任回避の言い訳である。ここに表現というものの本質がある。自らの表現をとことんつきつめて自ら責任を取るのか、それとも評価を他人に委ねるのかという対立である。

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世界史の活用術、歴史観から見極める仕事の本質:日本経済新聞

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春風の吹けばおのずと山かげの梅も桜も花はさくなり

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 昭和天皇は明治の原点こそ戦後の原点であると教えられた。湛山も同じ精神を敗戦と同時に筆にした。戦後を歩むには明治の初心に立ち返れ。「復初の精神」である。復初はただの復古ではない。原点の確認と建設的な改良である。若返りなのだ。

 21世紀の日本人が志すべきは、近代国家発足のさわやかな初心を追体験することである。

茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初國是トシテ五箇條ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。

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 明治大帝とまで称され、あたかも近代日本人の模範とみなされがちである。だが、そもそも欧化主義を潔しとはせず、本心では幼少の頃から慣れ親しんでいた古来の伝統にこだわっていた。

 しばしば、丸山眞男竹内好も戦後における進歩的文化人の代表のごとく扱われる。彼らは終戦直後、上官から「民主主義とは何か」と問われた。2人とも、それは「五箇条の御誓文」に述べられている、と答えたという。

五箇条の御誓文 - Wikipedia


政府は1日午前、総理大臣官邸で、各界の代表や有識者からなる「元号に関する懇談会」を開き、新しい元号の複数の原案を示し意見を聞くなどしたうえで、臨時閣議で新しい元号を「令和」とすることを決定し、菅官房長官が午前11時半すぎからの記者会見で発表しました。

この中で、菅官房長官は「さきほど閣議元号を改める政令、および、元号の呼び方が閣議決定された。新しい元号は令和であります」と述べ、書を掲げて、平成に代わる新しい元号を「令和」に決定したと発表しました。

そのうえで、「令和」の典拠、いわゆる出典について「『令和』は『万葉集』の梅花の歌、三十二首の序文にある『初春の令月(れいげつ)にして、気淑く(きよ)風和らぎ(やわらぎ)、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披き(ひらき)、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす』から引用したものだ」と述べました。
官房長官は記者会見で、新しい元号の考案者について「考案者ご自身が秘匿を希望していることに加え 考案者を明らかにすれば新元号と特定の個人との結びつきが強調されることになりかねないため、お答えは差し控えたい」と述べました。

また、懇談会で出された意見や原案の数について質問されたのに対し、「意見聴取の場でどんなご意見があったかについてお答えすることは差し控えたいと思う」と述べました。

また、「新元号が日本人の生活の中に深く根ざしていくためには、他の案と比較して議論されることは適当でないと考えており、新元号として決定されたもの以外の案については、その数も含めてお答えは差し控えたい」と述べました。

そのうえで、「いずれにしても、今般決定された新元号が広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根ざしていくよう努めていきたい」と述べました。

日本の元号は、研究者によりますと、「平成」までの247すべてが中国の古典を典拠としているとされていますが、日本の古典から引用されたのは初めてだということです。

元号を定める政令は1日中に天皇陛下の御名・御璽(ぎょめい・ぎょじ)、いわゆる署名・押印を得て公布され、元号は、皇太子さまが即位される来月1日に「令和」に改められます。

外務省によりますと「令和」の英語のつづりは「R・E・I・W・A」だということです。

元号に「令和」が決まったことを受けて政府関係者は報道陣を対象にブリーフを行いました。

それによりますと、「令和」の「令」の字が元号に用いられるのは初めてとなる一方、「和」の字は、「昭和」などこれまでに19回使われており、「令和」で20回目となるということです。

また、政府関係者が把握するかぎり、「令和」は、過去に候補としてあげられたことはないということです。

さらに、「令和」の典拠、いわゆる出典となった「万葉集」の該当箇所は、歌人大伴旅人が宴を催し、32人が梅の花を題材に歌ったものをまとめた序文として、大伴旅人自身が書いたものだということです。

また、新元号の選定にあたって「元号に関する懇談会」などに示された複数の原案には、万葉集から引用した「令和」のほか、中国の古典を典拠とするものも含まれていたということです。

このほか、菅官房長官が記者会見で掲げた「令和」と書かれた書は、内閣府人事課の「辞令専門職」を務める茂住修身氏が書いたということで、行政文書として適切に保存されるということです。

先ほど閣議で、元号を改める政令および元号の呼び方に関する内閣告示が閣議決定をされました。

新しい元号は「令和」(れいわ)であります。この新元号については、本日、元号に関する懇談会と衆議院および参議院の議長および副議長のご意見をうかがい、全閣僚において協議のうえ閣議において決定したものであります。

元号の典拠について申し上げます。「令和」は、万葉集の梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文にある、「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑く(きよく)風和ぎ(かぜやわらぎ)、梅(うめ)は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」から引用したものであります。

この新元号に込められた意義や国民の皆さんへのメッセージについては、こののち、安倍総理の会見があります。

Q:新元号は「令和」とのことですが、選定にあたっては、どういった点を最も重視されましたでしょうか。また、考案者はどなたでしょうか。出典は万葉集とのことですが、これまで日本の古典に由来する元号はなく、国文学や東洋史学などの専門家に考案を委嘱された中で、どのような理由で選ばれたのでしょうか、具体的にご説明ください。

A:新元号が制定をされた理由については、こののち総理ご自身から、新元号に込められた意義や国民へのメッセージについて直接お伝えをすることになっております。また新元号の考案者については、考案者ご自身が氏名の秘匿を希望されていることに加え、考案者を明らかにすれば新元号と特定の個人とのむすびつきが強調されることになりかねないため、お答えは差し控えたいと思います。いずれにしても、今般決定された新元号が、広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根ざしていくよう努めて参りたいと思います。

Q:長官は有識者懇談会と正副議長からの意見聴取、全閣僚会議に出席されました。一連の過程の中で意見を聞かれたわけですが、その中で、元号の原案はいくつ示されましたでしょうか。元号の候補名と合わせてご紹介願います。また、それぞれの場で、有識者や正副議長、各大臣からは、どのような意見が出て、「令和」との結論、決定に至ったのでしょうか。具体的に、ご紹介願います。

A:本日、元号に関する懇談会を開催をし、衆参両院の正副議長の意見をうかがったうえで、内閣の責任において、新元号を決定をしたところであります。新元号が選定をされた理由につきましては、のちほど総理から直接お話しがあります。意見聴取の場で、どんなご意見があったかについて、お答えすることは差し控えたいと思います。また、新元号が日本人の生活の中に、深く根ざしていくためには、他の案と比較をして議論されることは適当でないと考えており、新元号として決定をされたもの以外の案については、その数も含めて、お答えは差し控えたいと思います。

本日、元号を改める政令閣議決定をいたしました。新しい元号は「令和」であります。

これは万葉集にある「初春の令月(れいげつ)にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」との文言から引用したものであります。そして、この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められております。

万葉集は、1200年余り前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。

悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さのあとに、春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたい、との願いを込め、「令和」に決定いたしました。

文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和の日々に、心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を、国民の皆様と共に切り開いていく。新元号の決定にあたり、その決意を新たにしております。

5月1日に皇太子殿下が御即位され、その日以降、この新しい元号が用いられることとなりますが、国民各位の御理解と御協力を賜りますようお願いいたします。政府としても、ほぼ200年ぶりとなる、歴史的な皇位の継承が恙(つつが)なく行われ、国民こぞって寿(ことほ)ぐことができるよう、その準備に万全を期してまいります。

元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と国民の幸福への深い願いとともに、1400年近くにわたるわが国の歴史を紡いできました。日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものとなっています。この新しい元号も、広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根ざしていくことを心から願っています。

私からは以上です。


これまで元号は、すべて中国の古典を由来としてきたとされております。改めて、日本の古典を由来として「令和」に決めた総理の思いをお聞かせください。また、今月末で幕を閉じる「平成」の30年間は、国内では人口減少が進み、自然災害が相次ぎました。また、めまぐるしく変化する国際情勢やデジタル化など、日本は、今、大きな転換期を迎えています。5月1日の改元まで残り1か月となったことを踏まえ、平成の次の時代をどのような気持ちで迎え、どのような国づくりをされていきたいか。お考えをお聞かせください。


わが国は、歴史の大きな転換点を迎えていますが、いかに時代がうつろうとも、日本には決して色あせることのない価値があると思います。今回は、そうした思いの中で、歴史上初めて、国書を典拠とする元号を決定しました。

特に万葉集は1200年余り前の歌集ですが、一般庶民も含め、地位や身分に関係なく、幅広い人々の歌が収められ、その内容も、当時の人々の暮らしや息遣いが感じられ、まさにわが国の豊かな国民文化を象徴する国書です。これは世界に誇るべきものであり、わが国の悠久の歴史、薫り高き文化、そして四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄は、しっかりと次の時代にも引き継いでいくべきであると考えています。

同時に、急速な少子高齢化が進み、世界が、ものすごいスピードで変化をしていく中で、変わるべきは変わっていかなければなりません。平成の30年間ほど、改革が叫ばれた時代はなかったと思います。政治改革、行政改革、規制改革、抵抗勢力と言うことばもありましたが、平成の時代、さまざまな改革はしばしば大きな議論を巻き起こしました。

他方、現在の若い世代、現役世代は、そうした平成の時代を経て、変わること、改革することを、もっと柔軟に前向きに捉えていると思います。ちょうど本日から働き方改革が本格的にスタートします。70年ぶりの労働基準法の大改革です。かつては、何年もかけてやっと実現するレベルの改革が、近年は国民的な理解のもと、着実に行えるようになってきたという印象を持っています。

そうした中で、次の世代、次代を担う若者たちが、それぞれの夢や希望に向かって頑張っていける社会、1億総活躍社会を作り上げることができれば、日本の未来は明るいと、そう確信しています。新しい元号のもと、一人一人の日本人が、あすへの希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そういう時代を国民の皆様とともに築き上げていきたいと思います。


平成の改元時とは異なりまして、今回、総理が、みずから談話を読み上げる判断をされた理由を改めてお聞かせください。また、新たな元号を選定するにあたりまして、これまで複数の案を検討されてきたと思いますけども、「令和」という元号に決めた最大の決め手は何だったのか、改めてお聞かせください。


今回、元号を発表するにあたり、誰が発表するかという意見が、ずいぶん議論があったと思いますが、新しい元号は、本日、政令という形で、閣議決定いたしましたが、通常、閣議の内容は、官房長官が公表しております。そのため今回も、新元号については、平成のときと同じように、官房長官が発表することといたしました。

そのうえで、平成の改元時にはですね、当時の竹下総理の談話が発表されています。当時は総理大臣が会見を行うということは極めてまれでありましたが、平成の30年を経て、総理大臣が直接発信する機会も増大をしました。私自身、何か、何らかの出来事があるとですね、官邸に入る際などに記者の皆さんから声がかかり、マイクを向けられることもあります。そうした時代にあってですね、平成の時と同様に、総理大臣談話を発表するのであれば、私みずからが会見を開いて、国民の皆様に、直接申し上げるべきだと、こう考えた次第であります。

また、元号の選考につきましては、他の案が何かということも含めまして、検討過程について申し上げる事は差し控えますが、わが国が誇る悠久の歴史、文化、伝統の上に、次の世代、次の時代を担う世代のために、未来に向かって、どういう日本を築き上げていくのか、そして、その新しい時代への願いを示す上で、最もふさわしい元号は何か、という点がいちばんの決め手でありました。


若い世代や、これから生まれてくる子どもたちがですね、新しい元号、「令和」の時代の中心を担っていく世代だと思うんですけれども、その元号選定に当たりましては、こうした世代のことを、どのようにお考えになったでしょうか。


本日の会見はですね、インスタライブやTwitterで生中継をされていますが、今の若い世代の皆さんはですね、こうしたSNSなどの新しいツールをですね、見事に使いこなすことで、どんどん新しい文化を作られています。ニコニコ動画もですね、既存メディアの発想にとらわれることなく、若者たちならではの柔軟さで多様な番組を生み出した。リアルタイムで個人がコメントを発信できる、新しいメディアの姿を形づくられたと、こう思ってます。そして、こうした若い世代の新しいムーブメントは、確実にこれまでの政治や社会のありように、大きな変化をもたらしつつあります。本当に、頼もしいかぎりだと思っておりますが、日本の未来を明るいと感じています。

新しい時代には、このような若い世代の皆さんが、それぞれの夢や希望に向かって、思う存分活躍することができる、そういう時代であってほしいと思っています。この点が、今回の元号を決める大きなポイントでもありました。

今回の元号は、万葉集にある梅花の歌三十二首序文からの引用です。この中では、厳しい寒さの後、春を、春の訪れを告げるように、見事に咲き誇る梅の花の情景が美しく描かれております。平成の時代のヒット曲に、「世界に一つだけの花」がありましたが、次の時代を担う若者たちが、あすへの希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そのような若者たちにとってですね、希望に満ちあふれた日本を国民の皆さんとともに作り上げていきたいと思っています。


元号の選定に関連して伺います。総理は2月下旬と3月下旬に皇太子さまと面会されました。そうした際に、印象を受けました皇太子さまの人柄ですとか、ご即位に当たっての思いなど、選定に当たって、考慮されたところがあればご紹介ください。また、皇太子さまのご即位を、国民の代表である総理として、どのような関係を築かれたいとお思いでしょうか。最後に新元号について、天皇陛下と皇太子さまに総理から直接ご報告される予定はございますでしょうか。


まず2月の22日と、3月の29日に皇太子殿下にお会いをいたしましたが、その際の内容等については、お答えすることは差し控えさせていただきたいと思います。

皇太子殿下におかれては、本年2月のお誕生日に際しまして、今上陛下のこれまでの御姿を心にとどめ、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、あるいは、共に悲しみながら、象徴としての務めを果たしていきたい、とのお気持ちを明らかになさったと承知をしており、大変ありがたいことであると考えています。

私としては、皇太子殿下のご即位を心からお喜び申し上げますとともに、先ほど申し上げた殿下のお気持ちをしっかりと受け止め、新しい「令和」の時代を、国および国民統合の象徴となられる殿下とともに歩みを進めてまいりたいと、こう思っております。

今月は、平成最後の月となります。このひと月、平成の時代に、そして天皇皇后両陛下のご足跡とご偉績に思いをはせつつ、新しい時代に向けて、天皇陛下のご退位と皇太子殿下のご即位が、つつがなく行われるように万全を期していきたいと思います。

そして、新しい時代にふさわしい、「令和」の時代を切り開いていくために、準備万端、万全を期していきたいと、こう考えております。なお、新元号については、閣議決定を行った後に、宮内庁を通じて、今上陛下および皇太子殿下にお伝えをいたしました。

元号を定める政令の文書は、1日午前11時半すぎ、内閣官房の職員によって皇居の桔梗門から皇居に運び込まれました。そして、文書は御所に届けられ、天皇陛下が内容を確認したうえでみずから署名され、その後、「御璽」の押印が行われました。

「御璽」は、「天皇御璽」と刻まれた天皇の印で、即位のあと最初に行われる儀式「剣璽等承継の儀」で代々引き継がれています。

法律や政令への署名や押印は、憲法で定められた天皇の国事行為で、天皇陛下は、毎回丁寧に書類に目を通し、署名などを行われているということです。

天皇陛下が署名・押印をされた政令の文書は、午後0時すぎ、内閣官房の職員が携え、車で桔梗門から皇居を出ました。

宮内庁の山本信一郎長官は「閣議決定のあと、新元号について杉田官房副長官から電話で連絡を受け、発表前にお住まいの御所で天皇陛下にご報告した。天皇陛下には、元号を正確に書き留めた紙をお示しして報告し、いつものような表情でお聞き届けをいただいた」と述べました。

また、「皇太子さまには西村次長から直接ご報告した。事柄の性格上、きちんとお伺いしてご報告をするのがあるべき姿だと思うし、正確で迅速にお伝えするため、こうした形を取った」と述べました。

そのうえで、「令和」という元号について受け止めを尋ねられると、「国民に親しまれたらいいなと思います」と話していました。

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#天皇家

京大iPS細胞研究所 山中伸弥所長

京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥所長は「新しい元号は、響きが美しいと感じました。新たな元号が決まる過程に携われたことは非常に光栄です。初めて日本の古典から選ばれたほか、初めて使われる文字もあり、伝統を重んじると共に新しいものにチャレンジしていく日本のこれからの姿にぴったりの元号ではないかと思います。iPS細胞も次の『令和』の時代に完成させて、患者さんに届けていきたいと決意を新たにしました」と話していました。

作家 林真理子

作家の林真理子氏は「懇談会では一人ひとり意見を言いましたが『令和』は1番人気があったと思います。非常に美しく日本にふさわしい万葉集から選ばれ作家の1人としてこれで万葉集ブームが起こるのではないかと思います。『令和』の時代はグローバリズムも感じながら日本人としての誇りと文化を大切する時代であってほしい、長く長く続いてほしいと思います」と話していました。

日本私立大学団体連合会会長 鎌田薫氏

日本私立大学団体連合会の会長の鎌田薫氏は、総理大臣官邸を出る際、記者団に対し「明るい時代が来ればいいと思います」と述べました。

経団連名誉会長 榊原定征

経団連名誉会長の榊原定征氏は記者団に対し「平和と社会の安寧、心の豊かさ、そういった点を表現した元号がふさわしいと申し上げた。説明などの時間も十分あった」と述べました。

千葉商科大学国際教養学部宮崎緑

千葉商科大学国際教養学部長の宮崎緑氏は総理大臣官邸を出る際、「新元号の原案が1枚の紙に印刷されていて、典拠などの説明もそれぞれ一言ずつ書いてあった。決をとったりはしなかった。『令和』について、触れた方も、触れなかった方もいた。

『令和』に決まったことを知ったのは、菅官房長官の発表で知り、メンバーからは拍手が湧き上がった」と述べました。そのうえで、「美しい響きで、新しい時代にふさわしい、いい元号が選ばれたのではないか。これから皆が美しく心を寄せ合い、新しい文化を生み出していくという意味が今の時代に大変合っている」と述べました。

民放連=大久保好男氏

民放連=日本民間放送連盟会長の大久保好男氏は総理大臣官邸を出る際、記者団に対し、「事前に候補名について教えてもらっていたわけでもなく準備もできなかった。新元号の原案が入った封筒が配られ、それを開けてから説明が始まったという段取りだった。時間が限られており、候補名に対する感想のようなものを述べた」と述べました。

また、「携帯電話は入室の前に『預かります』ということでお渡しし、封筒に入れて保管されていたと思う。終わった時点で返却されたが部屋の中ではずっとテレビを見ながら待っていた」と述べました。

そして、「歴史的な一場面に立ち会う光栄と責任を感じながら、本当に国民の方々に広く使ってもらえる、受け入れられるような元号が決まればいいなという思いで発言をした。大役を終えて、無事にすばらしい新しい元号が決まったことで、いまはほっとしている」と述べました。

NHK 上田会長

NHKの上田会長は、総理大臣官邸を出る際、記者団の取材に対し、「いい元号に決まったと思う。よかった」と述べました。



憲政史上初めてとなる今月30日の天皇陛下の退位と、来月1日の皇太子さまの即位を前に、政府は、新元号を「令和」と決定しました。

政府は1日午前9時半すぎから、総理大臣官邸で、各界の代表や有識者あわせて9人のメンバーからなる「元号に関する懇談会」を開きましたが、関係者によりますと、政府側は懇談会などの場で6つの原案を示して意見を聞いたということです。

政府は3月、複数の専門家に対し、2つから5つの新元号の候補名を考えるよう正式に委嘱していて、原案は、それらの中から、読みやすく、書きやすいなど「元号選定手続」に定められた留意点に沿って絞り込まれました。

前回、平成に改元された際には「元号に関する懇談会」に、平成に加え、「修文」と「正化」のあわせて3つの原案が示されたことが明らかになっていて、今回は、それよりも多く示されました。


このうち、アメリカのAP通信は、「日本政府は、5月1日から皇位を継承する次の天皇の時代の名称が『令和』に決まったと発表した」と速報で伝えました。

また、フランスのAFP通信は、「天皇の退位にともなって迎える新しい時代の名称は『令和』になった」と報じたうえで、言葉の意味について、「令は、『order(秩序)』や、『auspicious(さい先がよい、吉兆の、など)』のような意味だ。和は、『peace(平和)』や、『harmony(調和)』などと翻訳されることが多い」と解説しています。

このほか、イギリスの公共放送BBCは、「新しい元号に使われている2文字の漢字について、秩序を意味する『order』と調和を意味する『harmony』を示している」と速報しました。

新しい元号が「令和」に決まったことについて中国の国営メディアなども相次いで速報で伝えています。

中国共産党系のメディア、「環球時報」の電子版は天皇の退位を前に元号が発表されるのは日本の憲政史上初めてだと伝えました。また「令和」の典拠、いわゆる出典について、元号はこれまで中国の古典から選ばれてきたが、今回初めて日本最古の歌集である「万葉集」から引用されたと伝えています。

国営の中国中央テレビは日本時間の午後0時20分ごろ、ニュース番組の中で日本の新しい元号が「令和」に決まったことを伝えました。

この中では、新しい元号は日本の古典「万葉集」からの出典で、5月1日から正式に使われること、さらに、今回の退位はおよそ200年ぶりのことであるなどと紹介しました。

新しい元号が「令和」に決まったことについて韓国の各メディアは速報で伝え、このうち通信社の連合ニュースは、元号が発表された際、街頭の大型モニターを見ていた市民たちから歓声が上がったことや新聞の号外が、配られたことなど、日本国内の反応を伝えました。

また、韓国の大手ポータルサイトでは、昼過ぎに日本の元号に関する検索数が5位になるなど、韓国国内での関心の高さがうかがわれました。

一方で革新系のハンギョレ新聞は「令和」の典拠いわゆる出典について今回、初めて中国の古典ではなく日本の古典から引用されたとする報道を受けて、「日本の伝統を重視する安倍総理大臣の保守的な世界観が投影されたと解釈できる」と論評を加えています。

新たな元号について中国外務省の耿爽報道官は1日の記者会見で、「日本の内政でありコメントしない」と述べるにとどめました。

一方で耿報道官は「現在の両国関係は改善して発展する良い勢いを保っている。われわれは日本と引き続き安定的に関係を発展させて両国の国民に幸福をもたらしていきたい」と述べ、引き続き日中関係を改善していくことに意欲を示しました。

宮内庁の山本信一郎長官によりますと、1日の閣議決定のあと、新元号について、杉田官房副長官から山本長官のところに電話で連絡があったということです。

山本長官は、午前11時半すぎに皇居にある宮内庁の本庁舎を出て、天皇陛下のお住まいの御所に向かいました。

山本長官は「発表前に御所で天皇陛下にご報告した。天皇陛下には、元号を正確に書き留めた紙をお示しし、万葉集が典拠だということも報告した。いつものような表情でお聞き届けをいただいた」と話しました。

また、皇太子さまには、西村泰彦次長がお住まいの東宮御所で直接、報告したということです。

西村次長は、その時の皇太子さまの様子について「にこやかに聞いておられた」と話しました。

天皇陛下と皇太子さまへの発表前の報告について、山本長官は「事柄の性格上、きちんとおうかがいしてご報告をするのがあるべき姿だと思うし、正確で迅速にお伝えするため、こうした形を取った」と述べました。

また、山本長官と西村次長は、それぞれ報告を終えたことを杉田官房副長官に連絡したということです。

そのうえで、「令和(れいわ)」という元号について受け止めを尋ねられると、「国民に親しまれたらいいなと思います」と話していました。

宮内庁の西村泰彦次長は、1日午後2時からの定例の記者会見で新しい元号「令和」について、「国民が広く歓迎してくれるのがいちばんだと思います」と述べました。

宮内庁によりますと、1日の閣議決定のあと新元号について杉田官房副長官から山本信一郎長官に電話で連絡があり、山本長官が天皇陛下に、西村次長が皇太子さまに、発表の前にそれぞれ報告したということです。

西村次長は、「閣議決定後、できるだけ速やかにお伝えするようにという官邸からの意向を受け、宮内庁で分担を検討して、発表前にきちんとお知らせをすることとした」と述べました。

また、その際、水性ボールペンで新元号の「令和」と書いたメモを皇太子さまに示して、出典は万葉集であると伝えたことを明らかにしました。

その上で西村次長は、「いよいよ皇位継承まであと1か月しかないということで、宮内庁としてきちんと準備して対応していかなければいけないと改めて思っています」と述べました。


共産党の志位委員長は記者会見で「元号は、もともと中国に由来するもので憲法国民主権の原則にはなじまないと考えている。国民が慣習的に使用することに反対するものではないが、西暦か元号か、いかなる紀年法を用いるのかは自由な国民自身の選択に委ねられるべきで、国による使用の強制には反対する。『一般国民にまで、元号の使用を強制することにはならない』という政府の統一見解を厳格に守ることを改めて求めたい」と述べました。

自由党の小沢代表は記者会見で「元号そのものについては、その道のそれなりの権威の人々が知恵を絞って考えたことだろうから、それで結構だろうと思う。平成の時代は、政治的には、2度の長期自民党政権から野党政権への交代があったが短期間で終わってしまい、議会制民主主義の定着までは行かなかった。次の時代こそ、国民の暮らしに重点を置いた政治に転換しなければいけない」と述べました。

社民党の又市党首は記者団に対し「『令』は『命令』の『令』であり、安倍政権が目指す、国民への規律や統制の強化がにじみ出ている感が否めない。わが党は、社会党時代から元号象徴天皇制とはなじまないものだと反対し、昭和を最後に西暦に一本化すべきだと求めてきた。元号がどうなろうと、平和で、豊かな、戦争のない社会を望むことは言うまでもないが、元号の強制はあってはならない」と述べました。




二松学舎大学の塩沢一平教授によりますと「令和」の典拠となった万葉集の序文というのは、あとに続く32首が詠まれた背景などを説明した文章です。

今回の序文のあとには当時、太宰府の長官だった大伴旅人の邸宅で開かれた宴席で、集まった32人が詠んだ梅にまつわるうたがつづられています。

典拠された序文は「春の初めの良い月にさわやかな風が柔らかく吹いている。その中で、梅の花が美しい女性が鏡の前でおしろいをつけているかのように白く美しく咲き、宴席は高貴な人が身につける香り袋の香りのように薫っている」という意味だということです。

昭和天皇や皇太后さまから和歌の相談にものった歌人岡野弘彦さんによりますと、新元号『令和』の典拠となった万葉集の序文は太宰府に派遣されていた大伴旅人の家で正月に宴会が開かれ、32首のうたが詠まれた時の状況が説明されたものだということです。

序文の内容は「正月の気分を表したもので、『初春の月はすがすがしく、空気は快い。風はやわらかい。梅の花は、鏡の前のおしろいのように白い花を開いていて、らんの花は、後ろにかぐわしい香りを漂わせている』という、初春のさわやかさを伝えている」ということです。

岡野さんは「万葉集のうたは、やまとことばで書かれているが、元号がやまとことばだと、長くなるので、漢文風の文章で書かれた序文から引用したことに今回の特色があるのだと思います」と話しています。

国文学が専門の明治大学山崎健司教授によりますと、新しい元号、「令和」に使われた万葉集の第5巻の序文は中国の六朝時代の政治家で、書家として名高い王羲之の書「蘭亭序(らんていじょ)」や同時代の詩文集の「文選(もんぜん)」を参考にしたのではないかということです。

これについて山崎教授は「当時は中国の書物の言葉を使うことが教養のバロメーターだった。典拠となった作品を取り込むことで、その世界観も取り込むことが表現技法の1つだった」と話しています。

日本の古典に詳しい、国学院大学の中村啓信名誉教授は「令の字は画数が少なく良い意味が込められているが、あまりなじみのない言葉なので国民に親しまれて浸透していくことを願う。元号は将来的には広く使われている国語から選ばれるべきだと思うので、今回の選定はその第一歩として大変意義深い」と話していました。

元号の歴史に詳しい京都産業大学の久禮旦雄准教授は、新しい元号に決まった「令和」について、「書きやすく、また、口に出してみると読みやすい、よい元号だと感じた」と話しました。

出典が万葉集だったことについては、「さまざまな階層の人の歌を収めているという点で、さまざまな人々が一緒になって社会を構成している現代社会にふさわしい出典だと感じた」と述べました。

また、選ばれた文字について、久禮准教授は、「令」という漢字は、初めて元号に使われ、「和」は20回目であることを挙げ、「今まで使われなかった字とよく使われた字を組み合わせるというやり方は、平成の「成」と昭和の「昭」が初めて選ばれたのと同じで、昭和、平成の流れをくむ字の選び方だと感じた」と指摘しました。

そして、「元号は、表意文字である漢字を使い、そこに特定の理想、あるべき未来、実現すべき夢を反映するという日本独特の文化だ。便利な西暦を使うと同時に、複雑なところもある文化的なものを継承し、それを社会で活用していくことで豊かな社会につながっていくと思う」と話していました。

太宰府市によりますと、新元号「令和」の典拠となった万葉集の序文に続く歌は、奈良時代の初め、当時の大宰府の長官、大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で詠まれたということです。

「梅花の宴」は、当時、一般には珍しかったという中国からわたってきたばかりの梅の花をめでて開かれたとされています。筑前の守だった山上憶良をはじめ大宰府や九州の高官たちが参加し、梅の花を題材に和歌を披露しあったといいます。

太宰府市によりますと、うたげが開かれた邸宅の場所については諸説残されているということですが、そのうちの1つが太宰府天満宮から南西におよそ2キロほどの「坂本八幡宮」付近とされています。

このうたげの様子は、地元の展示館で、博多人形を使った模型により再現されています。太宰府市楠田大蔵市長は「元号太宰府市とゆかりのあるものとなり、身の引き締まる思いです」と話しました。

長年、大宰府展示館に勤め、太宰府市の歴史と万葉集についての著書がある森弘子さんは、大伴旅人の邸宅があった付近とされる坂本八幡宮を訪れました。

森さんは、ここで、大伴旅人が開いたとされる「梅花の宴」について「当時、梅は中国から渡ってきた珍しいもので、その花を題材にして和歌を詠もうという宴で、万葉集の中でも画期的なものでした」と話しました。

そして、新元号の典拠となった万葉集の序文に続く歌がこの宴で詠まれたとされることについて「『令和』と聞き、最初はとても意外でしたが、大変感慨深く、光栄だと思いました。この序文は、とても美しく流れている文なので、これからの時代、本当に美しく、調和が取れた時代にすることができるのではないかと思います」と話していました。

書家の石川九楊さんは、学生時代から多くの作品を発表し、これまでに制作した作品は1000点に上るほか、書についての独自の批評も展開し、100点余りの著作を刊行しています。

元号の発表を受け、石川さんはNHKの取材に応じて「令和」の2文字を和紙に毛筆で書いたうえでその印象を語り、始めて元号に使われる「令」について、「上に屋根があるので少しとがった感じがしますが、今風の女性の名前に似合いそうなニュアンスがあって、今までの元号にはない字だと思います」と話しました。

一方で、「令」の字については、3画目が横棒、5画目が縦棒とする書き方と、3画目も5画目も斜めの点のようにする書き方が混在しているとして、もともと、古い書体をモデルにした「横棒」と「縦棒」による書き方があり、その後、「点」で書く合理的な書き方が生まれたと指摘しました。

そのうえで、「習字や漢字を教える先生方には、子どもたちが悩まないようそれぞれを許容して、どちらでもいいんだという教育をしてほしいと思います」と話していました。

入省式にはこの春採用された新人47人が出席し、山下法務大臣から代表者に辞令が手渡されました。

このあと、山下大臣があいさつし、最初に、「来月から『令和』という新しい元号になる。皆さんは新しい時代を担っていくことになる」と激励しました。

そのうえで、外国人材の受け入れを拡大する新たな制度の開始を踏まえ、「新たな課題へのチャレンジであり、法務省一丸となって取り組む必要がある」と述べ、共生社会の実現に向けて全力を挙げるよう訓示しました。

河野統合幕僚長平成26年10月に海上幕僚長を経て就任し、その後、任期の延長が3回行われ4年5か月という異例の長期にわたって自衛隊トップを務めてきました。

1日午後、防衛省で行われた退任式で、河野統合幕僚長は陸海空の自衛隊幹部などを前に最後の訓示を行い、「自衛隊はほとんどの国民が好感を寄せる組織になったが、その信頼は一瞬で崩れ去るものでもある。常に謙虚な心を忘れず、誇りと自信をもって職務にあたってほしい」と述べました。

河野統合幕僚長は、北朝鮮による相次ぐ弾道ミサイルの発射や西日本豪雨など大規模災害への対応にあたったほか、安全保障関連法に基づくPKOでの「駆け付け警護」やアメリカ軍の艦艇の防護など新たな任務にも対応しました。

一方、在任中にはPKO部隊の日報の隠蔽が発覚したほか、憲法改正の議論をめぐって「一自衛官として」と断ったうえで自身の考えを述べ、政治的行為に当たるかどうか議論になったこともありました。

河野氏の後任には、山崎幸二陸上幕僚長が就任しました。