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自衛官募集中の「守りたいものを、守れる人に。」の標語。「守りたいもの」とはある時期までは「日本国」を意味していた(国防)。それがある時期から「大切な人」の意味に転じたように思う。

3限は大学院の演習。今日とりあげたのは、成田龍一茨木のり子ー女性にとっての敗戦と占領」と中村秀之「黒澤明アメリカとの出会いそこない」。前者は戦中と戦後の連続性・不連続性の問題、後者はアメリカへの愛憎の問題、どちらも戦中戦後を生きた日本人にとっての重要な(深く考えてみるべき)問題であったが、実際には、戦後復興、高度成長の中で、あまり問い詰められることなくきた問題である。

茨木の詩の中で一番よく知れているのは「私が一番きれいだったとき」だと思うが(成田の論稿の中でも紹介・分析がされていた)、私が茨木のり子という詩人を知ったのは「六月」という作品によってだった。

 どこかに美しい村はないか
 一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
 鍬を立てかけ 籠をおき
 男も女も大きなジョッキをかたむける

 どこかに美しい街はないか
 食べられる実をつけた街路樹が
 どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
 若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

 どこかに美しい人と人の力はないか
 同じ時代をともに生きる
 したしさとおかしさとそうして怒りが
 鋭い力となって たちあらわれる

私が初めてこの詩を知ったのは、高校生のころ観ていた森田健作主演の『おれは男だ!』という青春ドラマの中でである。高校生活を描いたドラマで(森田は剣道部の主将であった)、国語の授業中にこの詩が生徒たちによって朗読されたのだ。詩人の名も作品の名も知らなかったが、とても印象に残った。

おにぎり2個(鮭と昆布)の昼食。

6時半頃、卒業生のメグミさん(論系ゼミ5期生)が仕事終わりにやってきた。

キャンパスの入口付近の風景が1年前とはだいぶ違う。間口が広くなり、モダンに(無機質ともいう)なった。「郊外の大学みたいですね」という感想をよく聞くが、「病院みたい」というのが私の感想である。

「すぎうら」に行く。

活き穴子の天ぷら(塩で)。

鴨肉の塩焼き。