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 2010年、貴乃花二所ノ関一門を飛び出し、新たなグループを立ち上げた。

 彼を支えた親方衆のなかでも、

阿武松親方はいわば参謀役で、誰よりも貴乃花に心酔していた。しかし、17年に日馬富士による貴ノ岩への暴行事件が発覚。翌年の理事選で一門は、ひとまず阿武松親方に候補を一本化したものの、貴乃花も強行出馬に踏み切った。結果、阿武松親方だけが当選してしまったのです」(先の記者)

 その後、元関脇の阿武松親方は、基本的に元横綱しか登用されない審判部長に大抜擢される。その下に平年寄りとしてつけられたのが貴乃花だった。

 先の後援会関係者が続けるには、

八角理事長は、この屈辱的な人事で、対立関係にあった貴乃花を協会内で孤立させようとしたのでしょう。実際、貴乃花にしてみれば、二人三脚で頑張ってきた“右腕”に寝返られたと感じたはずです。阿武松親方は真面目で、礼儀を重んじるタイプ。しかも、貴乃花のことを尊敬していただけに、信頼関係が崩れてしまったことをいまだに気に病んでいるわけです」