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東大のトップ層は大企業よりスタートアップに就職するほうが圧倒的に多いという。なぜ日本企業には優秀な人材が働きたいと思う会社が少ないのか。中西宏明経団連会長との共著『社長の条件』(文藝春秋)で日本復活の鍵を示した経営共創基盤CEOの冨山和彦氏に聞いた——。

ホームページの「役員一覧」を開くと、並んでいるのは男性の顔写真ばかり。しかもほとんどが60代、70代の「ザ・日本人」といったおじさんたち。この会社は、役員のなかに女性も、外国人も、30代もいない。

たとえば、ハーバード大やMITで勉強している外国人女性が、就職先探しで日本企業のサイトを開いたら、唖然(あぜん)とするでしょう。「この会社では、いくら頑張っても、数年で高いポジションに就くのは無理だわ」とおそらく瞬時に判断します。

これも“平成30年間の後れ”を生んだ理由の1つです。

たとえば、東京大学の学生たち。東大生といっても、毎年3000人も入学すればピンきりですから、グローバルな活躍が期待できるほど優秀な学生は数百人でしょう。

その数百人は、どこで働こうとしているか。日本の大企業を挙げるのは少数派です。

とくに、天才と呼ぶべき“知的ギフテッド”な若者たちは、いまやスタートアップしか考えていません。そのほかは、ほぼ眼中にない。自分で起業する、もしくは、設立数年のスタートアップ企業に入る。「自分の才能を確実に活かせるのはどこか?」と考えていけば、自然とそうなるはずです。

日本の大企業に就職したら悲惨なことになる、と先輩たちから聞いている学生もいます。大学院で人工知能のものすごい論文を書いた新入社員でも、「まずは現場を知ることが大切だから」と、地方の工場に配属される。朝礼では社是や社歌を唱和し、上司に報連相を叩(たた)き込まれ、TQC(統合的品質管理)などの管理技術を学ぶわけです。

せっかく大谷翔平くんが入団してきたのに、「野球がうまいのはわかるけど、まずは球拾いとバット片づけからやって」と、いわゆる雑巾がけからスタートするようなもの。何の疑いもなくそう進む現実を知っています。

さらに、外国人の採用に「日本語が話せること」と条件がついたらナンセンスです。エンゼルスだって、大谷翔平に専属通訳をつけています。ガスタービンの事業で成功するためなら、最先端の研究者に通訳をつけるのは当然でしょう。

むしろ、日本語が堪能な人を選んで採用したら、研究者として世界トップクラスではない可能性のほうが高い。

ギフテッドな才能がある若者は、世界中の企業から引っ張りだこ。それなのに、日本の大手企業は「うちで採用してあげようか」と上から目線の態度で接する。見向きもされないのは当然でしょう。

ギフテッドな若者たちは、年収よりも自分の才能をフルに発揮できるかどうかに最も関心があります。ボール拾いやバット片づけより、メジャーリーグの打席に立ちたい。だから、スタートアップを選ぶ。自由に働ける、仕事の成果が認められる、最新のスパコンが使える、といったことのほうが年収よりも大切なのです。

この若者たちは「大きな組織はとにかく面倒くさい」と考えています。ムダな会議が繰り返される。稟議書にハンコが多い。何かはじめようと計画すれば「それはいかがなものか」と横やりが入る。ちょっと炎上すれば、責任問題だと大騒ぎになる。出張規定なども細かくて融通がきかない。それらがものすごいストレスを生むことが、大企業のほうはわかっていません。

日本企業に“相手目線”がないのは、ベンチャー企業との資本提携や技術提携でも同じです。「わが社が出資してやろう」「キミの技術を使ってやろう」と、自分たちはやはり採用する立場だと勘違いしている。

優れたベンチャーは、世界中の企業からオファーを受けていることに考えが至らない。グローバルの視点からは、自分と相手のどちらが希少で、価値が高いかという問題です。
しかも多くの日本企業は、話し合いの場にCEOが出てこない。部長か本部長がシリコンバレーへ出かけ、交渉の結論は日本に持ち帰って、常務のハンコをもらい、専務のハンコをもらい……と意思決定に時間をかける。

相手のベンチャー企業にとって、これはものすごいストレスです。「この大企業は意思決定が遅い」と判断すれば、「株主になられたら、あとでIRが大変だぜ」と敬遠されます。

おそらく、Facebookがどこかと提携するときはザッカーバーグが出てくるでしょう。日本企業でも、ソフトバンクなら孫さんが出てくる。優れた経営者は、みんなそういう大事なところに時間を使っている。日本企業のCEO、CTOたちが正しい時間の使い方を身につけるだけでも、時価総額の世界ランキングなどで、日本企業の名はもっと上位に出てくるはずです。

私がいま学生の立場なら、やはりスタートアップをめざすでしょう。そもそも東大に入るとしても法学部は選ばず、人工知能生命科学の最先端を勉強しようと、理工系学部に進んだはずです。すぐに起業できなければ、ビジネスの勉強だと思って、いったんコンサルティング業界に入るコースもあります。

35年前に私がボストン コンサルティング グループ(BCG)に就職したのも、ほぼそれに近い理由でした。いまは人気商売の1つになった経営コンサルタントも、80年代半ばの日本では、なおさら最終ゴールになりませんでした。戦略系コンサルタントといえば、マッキンゼーが40人ぐらい、BCGが20人ぐらいの時代です。

プロフェッショナル・ファームに身を置いて、当時よくわかったことがあります。世界のエリートたちは、巨大サラリーマン企業に自分の人生を委ねるという生き方は選択しない、ということ。一社で勤めあげるのが日本だけの特殊な働き方だと知って驚きました。

アメリカで40年も同じ会社にいたら「キミ、よその会社から一度も声をかけられなかったの?」と能力を疑われます。現在は、上海やシンガポールでもそうなっている。3年ごとに転職して、また以前いた会社に戻ってくることもある。もちろん、給料はどんどん上がっていきます。

その頃は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と日本的経営がおだてられた時代です。しかし詳しく見れば、それは生産システムなどオペレーションに限った話で、経営戦略やマネジメントではなかったわけです。

学卒一括採用、終身雇用、年功序列企業別組合などで維持された“閉じた企業”のモデルが、このまま世界を席巻しつづけるはずはないと、当時から予想できました。

実際、日本企業をコンサルティングすると、すぐに撤退すべき事業を抱えているのに、事業の撤退や売却、リストラは一切できない。合理的な意思決定からほど遠く、選択肢がものすごく狭い。完全に身動きがとれなくなっていました。

そこでやむを得ず、ドラスティックな改革を避けて戦略シナリオを描きます。効果は小さいとわかりながらも、合理的に戦略を組み立てる。しかし、それさえも実行されない。この業界に入って数年で「これはもたない」と確信しました。

当時は、NHKスペシャルで「電子立国 日本の自叙伝」が放送され、半導体では日本は負けないとみんなが思っていた頃です。しかし産業の歴史を冷静に振り返れば、20年から30年でパラダイム転換が起きなかったことはありません。同じビジネスが40年も50年もつづくことはないのです。

BCGを辞めてコーポレイトディレクションCDI)設立に関わったあと、私はスタンフォード大学MBAプログラムに留学して、帰国後はデジタルツーカーグル―プの創業に参加します。デジタルツーカーは、旧国鉄が設立した日本テレコムと日産の合弁企業で、新日鉄、丸紅などからも出向者がきていました。

私はこのケータイ事業を通して、いくつもの驚きと感動を味わいました。

なにしろ部課長以上は、目を疑うほど生産性が低い。朝から会議を開き、1日かけて何も決まらない。やっとプランニングしたと思ったら、こんどは誰も営業に出かけない。みんな大企業から出向してきた高学歴のエリートサラリーマンたちです。

計画や人事は、会議とはちがう場所、たとえばタバコ部屋や夜の高級クラブで決まっていく。事業計画に、数万円のブランデー代は必要ないでしょ。

この経験があるから、のちに産業再生機構で手がけた大企業の経営再建では、管理部門の大胆なリストラが実施できました。大企業の管理者は半分に減らしても、事業にまったく支障がないと確信していたからです。むしろ人数が多いほど、調整業務が増えていく。企業の根回し文化が変わらないとすれば、根回しの相手を減らしたほうがいいということです。

そんな部課長以上とは対照的に、現場の若い社員たちは実によく働いていました。「バブル崩壊で会社が潰れました」と不動産、証券、アパレルなどの業界から転職してきた若者たちです。有名大学の出身者はほとんどいません。それでも「もうあとはない」と、必死に働いて成果をあげていました。

ギフテッドな若者を求める専門領域を除けば、ビジネスの世界はおおむね“ストリート・スマート”の勝負です。お勉強ができることより、実践経験が豊富で知恵があるほど強い。そのことがよくわかりました。5年間のケータイ事業で、私自身もストリート・スマートになれたと思っています。

いまだに学卒一括採用が主流の企業は、ギフテッドな若者がいないだけでなく、ストリート・スマートな若者も少ない。ダメなエリートサラリーマンを量産してきた結果です。

そんな会社が、本当に貢献してくれる優れた人材の目に、はたして魅力的に映るかどうか。経営トップは、自ら相手目線に立ち、その重要性を社内に伝えていくべきでしょう。

#家族主義

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よく、「当時外資系企業を選ぶなんてリスクをとられましたね」と言われたりしますが、私としては「リスクを回避する」ために選んだのが外資系企業でした。銀行、商社、官庁などに行ったりすると上司に恵まれなかったり、コネクションがなかったら出世できなかったりするのではないかと思ったのです。自分の才能や努力ではコントロールできないリスクを一番避けたいと思いました。それに対して、外資系は実力主義でしたから、自分自身の実力で憂き目にあうなら、それは仕方がないと思えるのではと考えたのです。

今では、外資金融というと、特に高学歴の学生に人気になっています。仮に今もう一度、学生に戻ったとしたら、どんな就職先を選びますか?

まず、外資金融なんて絶対行かないでしょう。今時、率直にダサいですよ。私が就職をしたのは20年も前の話ですから。外資金融は一番の伸び時はもう終わっています。外資金融は、私が働いていたちょうど20年前〜10年前に伸び盛りでいろいろ勉強できた業界だったのです。その後の10年間は慣性で伸びているだけです。成功して盛り上がった後に相乗りしようなんて考えは、時代遅れだし、ダサいですよね。
ちなみに、私が東大にいるときに非常に残念に思ったのは、みんな小市民的発想だったことです。東大法学部なんていったら、「自分が日本をこう変えるのだ」とか本気で言えるような鼻持ちならない人間が多いのかと思っていたのですが、実際には、「どこに就職するべきか?」なんてつまらない話ばかりしていて、がっかりしました。
単純に今まで良かったからこれからも良いのではないかという程度の発想でキャリアを選ぶことは、自分の人生にとって非常に無責任なことだと思います。もっとしっかり自分の頭で考えた方が良いですよ。

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「ある程度出来上がった人間が入門しても何のおもしろみもない世界だ」
<中略>
ふき掃除、洗濯など一から修業して力士として人間として成長していく。それが大事なこと。

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 ある日、弘忍禅師は突如、門下の大衆を集めて、各自の見性を叩いて法嗣を定めるといい出しました。