近代を代表する哲学者によるキリスト教論として極めて重要な一冊であるジョン・ロック『キリスト教の合理性』が岩波文庫に入ったのは、とても喜ばしい。大抵の一流の書物がそうであるように、書き出しの一文がとても良い。(続く)
— 山本芳久 (@201yos1) November 6, 2019
「私は、今までに出会った神学体系のほとんどのものに満足も一貫性もみいだすことができなかったので、キリスト教を理解するために、(すべての神学体系が典拠とする)聖書を自分自身で読んでみることにした」。ロックのキリスト教観は私のものとはかなり異なるが、必読書としておすすめしたい。
— 山本芳久 (@201yos1) November 6, 2019
【「私のもの」】
「悪」とは何かを知るためには、「善」とは何かを熟知していなければならない。「悪」の本質は、「善」を傷つける点にこそあるからだ。「悪は善の欠如である」というトマス・アクィナスのテーゼは、哲学史上最も有名で刺激的なテーゼの一つです。(続く)
— 山本芳久 (@201yos1) November 6, 2019
この命題を理解することは、トマスの哲学・神学体系全体を理解することに直結します。こうした観点から、「善」と「悪」という、哲学の、そして人生の根本問題に取り組む講座「トマス・アクィナス『神学大全』を読む:悪の神秘」は、いよいよ、今週の土曜日(11/9)からです。https://t.co/1w1Coiw3EU
— 山本芳久 (@201yos1) November 6, 2019
嫉妬とは「他人の善を悲しむこと」とトマス・アクィナスは定義する。この短い定義よりも的確な定義は、なかなか見つからないだろう。他人の持っている善いものを共に喜ばず、それを否定したり見ないようにしたりしているうちに、この世界に豊かに存在する「善」に対する感覚そのものが歪んでしまうのだ
— 山本芳久 (@201yos1) September 13, 2019
ある日、弘忍禅師は突如、門下の大衆を集めて、各自の見性を叩いて法嗣を定めるといい出しました。これに応じてまず自己の悟境を発表したのが神秀上座(じんしゅうじょうざ)であります。
「身是れ菩提樹 心明鏡台の如し 時々に勤めて拂拭せよ 塵埃をして惹かしむる勿れ」(莫遣有塵埃にも作る)
しかるに、これに対して先の風来坊(盧行者)は、
「菩提本と無(非)樹 明鏡また台に非ず 本来無一物 何処にか塵埃を惹かん」(何用拂塵埃にも作る)
の一偈をもって報いました。
神秀上座は善悪の葛藤を照見して、不断の除悪に人生の真諦を認めています。かつその偈がまだ心の直接の表現ではなくて、擬物に拘泥している点が著しい。人生の真相を善悪の葛藤に観て、悪を排して善を発揮して行こうとするのはいかにも結構な事である。結構は結構であるが(美則美矣)、まだ了悟したとは言えない。彼はまだその善悪なるものを解決していない。真性を徹見していない。果たせるかな弘忍は「これただ門外に到れるに過ぎぬ」として取りあげなかったのであります。
恐るべきスピードで『神学大全』の執筆を進めていたトマスは、1273年12月6日、「私が見、私に示された事に比べると、私が書いた全ての事は藁屑のように見える」という言葉を残して永久に筆を置きました。驚異的な饒舌と沈黙は、超人的な明晰さで世界の真相を見つめる同じ眼差しから生まれたのだ
— 山本芳久 (@201yos1) July 7, 2017
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「そのとき、すべては新しい。すべては美しい。すべては光っておる。そして、ふしぎなことにすべてが自己である。万物と我れと一体である。世界と我れと不二である。」
自己と世界が一つになって、自己が朝日となって全世界に輝いたのである。老僧は、狂気のように松蔭寺にとって返して、白隠の室に泣いて駆け込んだ。白隠は心からこの老僧を祝福して、その悟りを証明したという。
もし自心を知るは
すなわち
仏心を知るなり仏心を知るは
すなわち
衆生の心を
知るなり三心平等なりと
知るを
すなわち大覚と
名づく…
中村が20年かけ1人で執筆していた『佛教語大辞典』が完成間近になった時、ある出版社が原稿を紛失してしまった。中村は「怒ったら原稿が見付かるわけでもないでしょう」と怒りもせず、翌日から再び最初から書き直して8年かけて完結させ、別の出版社(東京書籍)から全3巻で刊行。
保己一は、「私の今日あるのは、あのとき受けた軽蔑に発奮したのが動機であるから、私のほうがお礼を申しのべたい」と、見えぬ目に深いよろこびを浮かべて語ったということです。
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#グレタ
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イエスにとって、この世的な時間的に消滅しさるような地位や財宝による、平和などは、とるにも足らぬものであったのです。彼にとって必要なことは、永遠の生命を人々に悟らせることであり、瞬間瞬間的に変滅するような平安を彼等に与えるためではなかったのです。イエスと民衆との心の行き違いは、瞬間的な平和感の中に生活しようとする者と、永遠の平和をこの世にもたらせようとする者の大きな相違にあるので、イエスを讃仰する民衆の幾人もの者が、イエスの真意につき従ってこられるであろうか、とイエスは大群衆の歓声の中にあって、ひとり悲しい想いで、エルサレムの宮に詣でたことでありましょう。しかし、これも神性のまだいくらも現れていない人間の世にあっては致し方ないことであります。イエスのみならず、古代からの聖賢はみな一様に、こうした民衆との違和感で悲哀の生涯を送ったのであります。孤高なる存在は、この世的には常に寂静とした生活をするより他なかったのです。
この、〈内〉を徹底することで〈普遍〉に至るというロジックは日本国憲法の秩序そのものでもある。おそらく両天皇はそのことをちゃんと理解しているのではないか。その意味では天皇は日本国と日本国民統合の象徴にとどまらず人類普遍の原理の象徴たらんとしているのではないか。
#世界連邦政府