中曽根康弘 速記記者だけが知る「昭和の首相」の優しさと魅力https://t.co/AQOQWw3VP9#中曽根康弘 #速記者たちの国会秘録 #菊地正憲 #デイリー新潮
— デイリー新潮 (@dailyshincho) 2019年12月29日
「20年代後半のころ、国会内の食堂で、女性速記者仲間と食事をしていたら、給仕さんがお盆に山盛りのミカンをテーブルに持ってきて、ぶっきらぼうに『ほれ、あっち、あっち』と目配せしたんです。奥の方で中曽根さんが『食べろ、食べろ』という風に口を動かして、ニコニコしながら手を振っていたんです。お互い顔見知りではありましたから、食堂に注文して届けてくれたんです。私たちは『中曽根さんからの差し入れだ!』なんて小躍りして、おいしくいただいた覚えがあります。いつも勇ましい発言をして、ちょっと怖い印象もあったけど、根は優しい人なんだな、と感激しました」
事程左様に、議場の内外を問わず、彼らは一人の人間として、国民の代表たちをしっかり見つめていたのだ。こういった記憶の断片に、私の心が躍った瞬間は数え切れないほどだった。
さて、中曽根は、こうした速記者たちの姿を今でも覚えているだろうか。
記録的な猛暑がようやく去り、一気に冷風が肌を撫でるようになった平成22年9月下旬、東京都内にある中曽根の事務所を訪れた。背筋を真っ直ぐに伸ばし、なお矍鑠(かくしゃく)とした「往年の青年将校」が、目の前に座っていた。(注・当時92歳)
「……ああ、言われてみれば、そういうことが20年代の終わりごろに1度、あった気がしますね。『おあがんなさい』って言ってね」
例の「ミカン」の話を切り出すと、微笑を浮かべながら、間をおかずに「覚えている」と答えた。
「いつもお世話になっていると思ってね。私の発言は速くて、難しい言葉も使うものですから、間違えないように速記するのは難しい作業だと思っていました。『ご苦労さん、ありがとうございました』という意味を込めたのです」
若き女性速記者たちの熱い視線を意識してはいなかったようだが、それでも、些細とも思われる場面を明確に記憶していたことに私は驚いた。
中曽根は、昭和22年の衆院選初当選のころから、「大衆の耳に伝わるように、常に分かりやすく、印象的な言葉を使って発言する」ことを心がけていたとも話した。議場での立ち居振る舞いについては、本書第2章の元速記者の証言にも登場した「反骨の政治家」斎藤隆夫(注・戦前、軍部の政治介入に対して議会で「反軍演説」を行ったことで知られる)を見習い、「悪びれず、姿勢を正して堂々と」振る舞うことを信条としていたという。〉
昭和の宰相は、平成、令和とは一味違ったようだ。
気象予報士で女優の半井小絵さんが講演で憲法改正の持論を展開しました。「何もできない日本は甘く見られている。拉致されても取り戻せない。それがとても悔しい」などと力説しました。https://t.co/f8T6IwTk96
— 毎日新聞 (@mainichi) 2019年12月29日