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イギリスは、現地時間の31日午後11時、日本時間の1日午前8時に、前身の共同体を含め合わせて47年にわたって加盟してきたEUから正式に離脱します。

ロンドン中心部にあるイギリス議会の近くには離脱派と残留派がそれぞれ集まっていて、離脱の瞬間を見届けようとしています。

ジョンソン首相は国民向けのビデオメッセージを発表し、「私の仕事はこの国を団結させ前に進めることだ」と述べて離脱をめぐる議論で分断してきた社会に融和を呼びかけました。

そのうえで「今まさに夜が明け、私たちの偉大な国のドラマの新しい1章の幕が上がるときだ」と述べ、離脱で主権を取り戻すことはイギリスのさらなる飛躍につながると強調しました。

イギリス政府は31日、離脱にあわせて記念の50ペンス硬貨を発行したほか首相官邸では建物に時計の映像を映し出してカウントダウンを行うことにしています。

平和と共存の理念のもとに統合・拡大を続けてきたEUにとって加盟国が離脱するのは初めてのことで、イギリスの離脱はイギリスとEU、双方にとって歴史的な節目となります。

ジョンソン首相は、離脱を前に国民向けのビデオメッセージを発表しました。

この中でジョンソン首相は「今夜、われわれはEU=ヨーロッパ連合を離脱します」と切り出したうえで、イギリス国内には離脱への賛否がいまも根強く、双方の議論がいつまでも続くことに不安を抱く人が多い現状を十分に理解していると述べました。

そのうえで、「私の仕事はこの国を1つにまとめ、前進させることです。今夜皆さんに最も伝えるべきことは、これは終わりではなく始まりだということです」と述べ、離脱をめぐる議論で分断が進んだ社会の融和を呼びかけました。

またEUについては、「この50年間でEUは、イギリスとはかみあわない方向に進んでいった」と指摘したうえで、「EUと、エネルギーに満ちあふれたイギリスとの間で、友好的な協力関係を新たに築く時代の始まりにしたい」として離脱後もEUと良好な関係を保ちたいという意向を示しました。

そして、「この先の道がどんなに険しくても、必ず成功すると思っています。私たちは、みずからの手に主権を取り戻したのです。今こそ、イギリスという輝かしい国の潜在的な力を解き放ち、よりよい生活を作り上げましょう」と締めくくりました。

イギリスがEUから離脱する31日、ロンドン中心部では数百人の市民がEUとの別れを惜しんで行進を行いました。

集まった人たちは、離脱を望まない人もいるというメッセージを発信しようと、「すでにEUが恋しい」などと書かれた旗を掲げました。

参加した25歳の女性は、「離脱はイギリスにとって悲劇でしかなく、動揺しているし、悲惨な気分です。イギリスの未来、そして若い人たちの未来を悲観してしまいます。長い時間がかかるかもしれませんが、EUに戻れる日までたたかう価値はあると思う」と話していました。

このあと、参加者たちはEU関連の事務所が入る建物の前に集まり、日本では「蛍の光」として知られるスコットランドの民謡を歌い中には離脱を悲しむあまり涙ぐむ人の姿も見られました。

一方、残留派の行進のすぐそばでは離脱派の人たちが、EUの旗が印刷された紙を燃やすなどのパフォーマンスを行い、双方の間で口論になる場面も見られました。

行進を呼びかけたピーター・フレンチさんは、「別れを告げるとともに、できればすぐに再会したいという希望を込めて行進を呼びかけました。この国は、離脱をめぐって大きく割れてしまいました。悲しいことに、この先長い間、分断が埋まることはないと思います。人々を再びまとめるには、分断に費やされた力を超える努力が必要です」と話していました。

EUの首脳らは残る加盟国の結束を強調するとともに、今後のイギリスとの自由貿易などの交渉では容易には譲歩しない考えを示しました。

離脱を12時間後に控えた31日昼前、EU首脳らがそろって記者会見を行いました。

この中でEUのミシェル大統領は「きょうは異例の日だ。誰かが去るのは幸せなひとときではない」と述べ、EUの中核を担ってきた大国・イギリスの離脱を惜しみました。そのうえで「27か国はさらに連携していく」と述べ、離脱を機に、残る加盟国の結束は強まると強調しました。

またフォンデアライエン委員長は「あすから新たなEUが始まる。楽観的でも悲観的でもなく、ただ決意に満ちている」と述べ、イギリスの離脱による影響を最小限にとどめ、EUを率いていくことに意欲を示しました。

また、イギリスとの今後の関係について「イギリスとはできるかぎりよい関係を築きたいが、加盟国と同じようにはいかないだろう」と述べ、今後始まる自由貿易などの交渉を有利に進めたいイギリスに対し、容易に譲歩しない考えを示しました。

イギリスがEU=ヨーロッパ連合から離脱することについて、フランスの著名な歴史学者エマニュエル・トッド氏はNHKのインタビューに対し、「イギリスに続いて自由を取り戻そうという国が出てくるのではないか」と述べ、EUの終わりの始まりとなる可能性があると指摘しました。

フランスの歴史学者エマニュエル・トッド氏は、かつてソビエト崩壊や、アメリカの金融破綻を予測し、世界的な注目を集めた人物です。

NHKのインタビューのなかで、トッド氏は、イギリスが国内を二分した激しい議論を経て離脱の実現にこぎ着けたことについて「討論の文化を持つイギリスの民主主義が機能したものだ」と述べて、民主的なプロセスを経た結果だとして評価しました。

そのうえで、エリート層出身のジョンソン首相が離脱への道筋をつけたことについて、「イギリス国民は、ヨーロッパを拒絶し、エスタブリッシュメントを拒否しながらも、女王を敬愛し、貴族的ともいえるエリートを受け入れられる人々だ。ジョンソン首相の登場はイギリス社会の流動性を象徴している」と述べました。

一方でトッド氏は、「イギリスの離脱の次に何が起きるか予測は難しいが、EU崩壊に向けた最初の一歩かもしれない。イギリスに続いて自由を取り戻そうという国が出てくるのではないか」と述べ、加盟国の主権を制限しながら統合を進めてきたEUが、イギリスの離脱をきっかけに分裂の危機に直面しかねないという厳しい見方を示しました。

イギリスは31日午後11時、日本時間の1日午前8時に前身の共同体を含め、合わせて47年にわたって加盟してきたEUから正式に離脱しました。

統合と拡大を続けてきたEUにとって加盟国の離脱は初めてです。

ロンドン中心部にあるイギリス議会前の広場では離脱派の呼びかけで集会が開かれ、離脱の瞬間を見届けようと大勢の人たちが集まりました。

離脱を支持する人たちは「さようならEU」とか「イギリスは自由だ」などと歓声を上げていました。

一方、広場近くには、残留を求めてきた人たちもいて「イギリスの歴史で最悪の日だ」などと話し、一様に落胆した表情を見せていました。

ジョンソン首相は離脱に合わせて発表したメッセージで、国民の融和を呼びかけましたが、離脱の是非をめぐってイギリス社会は大きく分断したままです。

さらに離脱にともなう急激な変化を避けるために年末まで設けられた移行期間で、イギリスはEUと新たな通商関係を取り決める自由貿易協定の交渉を行いますが、限られた時間でまとめるのは難しいとみられ、国内外で大きな課題を抱えての船出となります。

ロンドンの中心部にあるイギリス議会前の広場には、離脱の瞬間を祝おうとイギリスの国旗を持った大勢の人が集まりました。

2016年の国民投票の際、イギリス国内で離脱の世論を主導した離脱党のファラージュ党首が壇上で演説し、「もうすぐわれわれは民主的で、主権のある、独立した、誇りある国になる」などと演説すると、大きな歓声がわきおこりました。

そしてカウントダウンのあと、現地時間の午後11時、離脱の瞬間を迎えると、「さようならEU」とか「イギリスは自由だ」などのことばとともに大歓声が上がり、人々は抱き合って国歌を歌っていました。

アメリ国務省は31日、イギリスがEUから離脱したことについて「イギリス政府の決定を支持する。強い結び付きがある同盟国との協力を続けていく」という声明を出しました。

アメリカが離脱を支持する最大の理由は、今後のイギリスとの貿易の拡大にあります。

アメリカ第一主義を掲げて各国との貿易を大幅に見直しているトランプ政権は、中国に次いで貿易赤字が多いEUとの間で、貿易協定を結ぶことを目指していますが、EUに加盟する各国の反発などで交渉が進んでいません。

こうした中、アメリカはEUを離脱したイギリスと速やかに2国間の交渉にとりかかりたい考えで、アメリカ産の農産品の輸出拡大などの実現を目指しているとみられます。

フランスのマクロン大統領は31日、テレビ演説を行い、イギリスがEU=ヨーロッパ連合から離脱することについて「EU各国が記憶にとどめ、深く考えるべき歴史的な警告だ」と述べ、EUの統合を今後も進めていくためには改革を推し進めることが重要だと訴えました。

そのうえで離脱後のイギリスとの関係について「できるだけ緊密で、安定した関係となることを望むが、これまで何十年も保ってきた関係とは同じではない」と述べました。

イギリスがEU=ヨーロッパ連合から離脱することでEUの地理的な中心、いわば「EUのへそ」が南東に移ります。

新たな「へそ」となるドイツの村では記念の式典が行われます。

緯度や経度などのデータに基づくEUの地理的な中心は、現在、ドイツ南部バイエルン州のベステルングルント村にあります。

これが、イギリスがEUから離脱することで南東におよそ50キロ移動し、新たな「EUのへそ」は同じバイエルン州のガートハイム村に移ることになります。

人口およそ80人、畑が広がるガートハイム村では、イギリスが離脱する日本時間の1日午前8時にあわせて、地元の住民が参加して記念の式典が行われます。

現地にはEUの中心を示すポールや、EUの旗が掲げられていて、式典を前にした31日には、住民たちが記念撮影に訪れる様子が見られました。

ガートハイム村の代表は「村が有名になるのは喜ばしいことだが、イギリスがEUから離脱していいことは何もない」と話しています。

イギリスがEU=ヨーロッパ連合から離脱した時刻と前後して、イギリスのツイッターにはEU離脱を意味する“#Brexit(ブレグジット)”以外に「私はヨーロッパ人」を意味する“#IamEuropean”や「今もヨーロッパ人」という意味の“#Still European”といったハッシュタグのついたツイートが多数、投稿されました。

こうしたツイートには「離脱は何の利益もない。痛みと悲しみしかもたらさない」とか「私たちは戻ってきます。再びEUに加入するための運動がきょうから始まります」といった離脱による影響を懸念する投稿が多く見られました。

「離脱したら、いったいどうなってしまうのだろう?」。日本を含む世界中の人が、ずいぶんと心配しているようだ。「経済が打撃を受けるだろうし、雇用にも負の影響がありそうだ」、「移民嫌いの人がいっぱいになって、息苦しくなるのでは?」、そして「右傾化している」、「ポピュリズムだ」、「内向き化している」という批判も多い。離脱後の通商交渉はこれから始まるので、ビジネス関係者は不満でいっぱいに違いない。

しかし、イギリス国内は、ヘンリー王子とメーガン妃の事実上の「引退」宣言で大騒ぎしたものの、不思議と落ち着いた雰囲気に満ちている。「さあ、これから頑張るぞ」という静かな自信のような空気さえ、感じるのである。

その理由を見てみよう。

まず、ここにきて、国を真っ二つに割った離脱派と残留派との「対立が消えてきた」ことが主因だろう。

世論調査の多くが残留派、つまり現状維持派が勝つと予想しており、離脱派の勝利は青天の霹靂だった。

「なぜ?」国民は知りたがった。

投票行動を有権者の年齢、居住地、所得、教育程度で分析してみると、大まかながら「高い教育を受け、都市部に住み、所得がある程度高く、比較的若い人」が残留を選ぶ傾向にあった一方で、「高等教育を受けず、イングランド地方北部の工業地帯に住み、所得が比較的低い、やや高齢の人」が離脱を選んだことがわかってきた。

ここで、離脱対残留の対立は、「高齢者対若者」、「所得の低い人対高い人」、「教育程度の低い人対高い人」、「ロンドンがある南部と工業地帯の北部」など、社会的対立となってゆく。

残留支持者は離脱支持者を自分たちより「低い」人として馬鹿にし、離脱支持者は残留支持者を「偉ぶったエリート層」、「庶民の暮らしがわからない人」として反発していく。

筆者は、視聴者参加型のテレビ番組をこの数年間、よく見てきたが、政治家やジャーナリストたちが「もう一度、国民投票を」と主張するたびに、会場内から怒りの声が上がった。

残留派の最たる存在が、下院議員であった。特に最大野党・労働党の下院議員である。労働党が拠点とするのが、イングランド地方北部の労働者層だ。この層の多くが離脱を支持。有権者は離脱を選択していても、「それでも、イギリスにとって残留が一番」と信じて疑わない議員が多かった。

イギリスが世界に誇るのが、議会制民主主義だが、ブレグジットに関しては、この議会が「決められない」状態となった。キャメロン首相の後を継いだ、元残留派のメイ前首相。彼女がEUと交渉し、どうやって離脱するかを決める「離脱協定案」をまとめ、議会に採決に持っていったが、これが何度も下院で否決されてしまった。

保守党の中には、強硬離脱派がいて、「その条件ではまだEUとの関係が近すぎる」といって、なかなか支持を出さない。

一方の労働党議員らは、本音部分は離脱に反対だから、メイ首相の離脱案にゴーサインをださない。そして、2015年まで保守党と連立政権を組んでいた自由民主党は、親欧州。この政党は再度の国民投票を望んでいるので、メイ案には賛同できない。

スコットランド国民党(SNP)もメイ案には反対だ。なぜかというと、スコットランド地方は国民投票で残留派が多かった。イギリスが離脱となってはスコットランド住民の意思に反することになってしまうので、反対せざるを得ない。

それぞれの政党の様々な思惑が絡み合い、議会での審議は空転に空転を重ねた。メディアで連日報道される議会の迷走ぶりに、残留派の国民でさえ、「いい加減、どっちかに決めてくれ!」と叫びたくなるほどだった。

物事が動き出したのは、昨年12月12日に行われた総選挙の後だ。

一つのメッセージが選挙を総括した。ブレグジットを実現させよう(Get Brexit Done)」である。ジョンソン首相が繰り返したスローガンで、あまりにも同じことを繰り返すので、ジョークになるほどだった。「もう、ブレグジットはオーブンに入っているんだから」。今、焼いている途中だ、とでも言いたげだったジョンソン首相。メディアは失笑し、その様子をテレビで見た視聴者も笑った。

しかし、開票してみると、まさにこれが国民のメッセージだった。

労働党ブレグジットについては「中立」とし、もし政権が取れたら再度の国民投票そして残留も示唆したが、1930年代以来の大敗となった。拠点の選挙区(イングランド地方北部の工業地帯)は次々と保守党に奪われた。

「離脱自体を中止する」と確約した自民党議席を減らし、党首自身が落選した。

「離脱を実現させる」ことを最優先し、「離脱強硬派」と言われたジョンソン首相がまとめた離脱協定案の可決を邪魔しようとした、保守党内の中道派議員らは「党籍はく奪」という痛い目にあった後、独立系として立候補したものの、こちらも次々と落選した。なんとも残酷な顛末となった。

ただし、国民投票で残留を選んだスコットランド地方では、残留支持のスコットランド国民党議席を増やし、同じく残留を選択した北アイルランドでは、残留派の政党が初議席を獲得している。今後、別の意味の分裂がイギリスを席巻するかもしれない。

イギリスのEUからの離脱運動を主導した英国独立党(UKIP)の成長を追ってきた、ケント大学のマシュー・グッドウィン教授は、「自分たちのことを自分たちで決められること」をイギリスの国民(正確には離脱を支持した人は)が何よりも、重要視したと指摘する。

サンデー・タイムズ紙(1月12日付)に掲載された、同氏の論考記事の見出しは、「ブレグジットのイギリスで、私たちはかなり幸せだ」である。

今後、EUからの離脱で、国民は「不幸」に陥る可能性もある。しかし、例えば「離婚するべきかどうか」を議論する時期はもう過ぎた。そういう意味では、すっきりした。

統合の深化に向かうEUの主要加盟国とこれを嫌うイギリスではベクトルの方向が異なっており、いつかは離れ離れになっていたかもしれない。

「離婚」後、負の影響を回避するにはどうするか。新たな人生を踏み出すためにどうするのか。こうしたことを考える段階に、今、イギリスはいる。

独自の道を歩むこと自体を恐れてはいけないのではないだろうか。

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#brexit

緯度や経度などのデータに基づくEUの地理的な中心地、いわば「EUのへそ」は、これまでドイツ南部バイエルン州のベステルングルント村にありましたが、イギリスがEUから離脱したことによって、中心地が南東におよそ50キロ離れた同じバイエルン州のガートハイム村に移りました。

新たな中心地となったガートハイム村は人口およそ80人の村で、イギリスの離脱に合わせて記念の式典が行われました。
離脱した時刻の日本時間1日午前8時になると、地元の音楽隊が演奏するスコットランド民謡の「蛍の光」とともに、喪章をつけたEUの旗が掲げられました。

続いて地域の代表があいさつし「加盟国の離脱によってEUの中心地が移動するのは初めてのことで、歴史的な瞬間だ。今回中心地となった名誉は個人的には放棄したかったが、決断したのはイギリスの有権者だ」と述べ、複雑な心境を表しました。

地元の人たちからは「多くの人が村を訪れるきっかけになる」と歓迎する声が聞かれた一方、「EUにとっては残念なことだ」などとイギリスの離脱を惜しむ声も聞かれました。

#EU