https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

この式典は、1945年、旧日本軍に対して、独立勢力が蜂起した日を記念して開かれ、27日午前、首都ネピドーで軍のトップ、ミン・アウン・フライン司令官が演説しました。

この中で、ミン・アウン・フライン司令官はクーデターは「避けられなかった」として正当性を改めて主張したうえで「軍は国家と国民のために尽くしている。社会的、経済的な発展を確実にする」と訴えました。

式典に先立ち、軍は国営テレビを通じて「若者が暴動に参加しようとしているが、頭や背中を銃弾などが貫通する危険がある」と警告しました。

一方、クーデターに反発する市民は軍の式典に合わせて全土で一斉の抗議デモを呼びかけ、最大都市ヤンゴンや第2の都市マンダレーなどで未明からデモが行われましたが、地元メディアの「ミャンマー・ナウ」によりますと、治安部隊の発砲などで、これまでに少なくとも50人が死亡しました。

軍は抗議デモを徹底的に排除する姿勢を示していて、市民への弾圧がさらに激しくなっています。

ミャンマー軍の起源は、第2次世界大戦中に旧日本軍の支援で設立されたビルマ独立軍とされています。

当時、ミャンマーイギリスの植民地で、アウン・サン・スー・チー氏の父親で「建国の父」と呼ばれるアウン・サン将軍らビルマ独立軍を率いて、旧日本軍とともにイギリス軍を打ち破りましたが、その後、アウン・サン将軍らは実権を握り続けた旧日本軍とも戦うことになりました。

日本の敗戦後、ミャンマーはイギリスと交渉して、1948年に独立を果たしましたが、130を超える民族が暮らす多民族国家ミャンマーでは、独立後も少数民族武装勢力などとの間で内戦が続きました。

鎮圧にあたる軍は国内で強い影響力を持ち、1962年に軍がクーデターを起こして、政治の実権を握ってからは、2011年の民政移管までおよそ半世紀にわたって軍の支配が続きました。

また、民政移管後も軍事政権時代につくられた憲法のもと、選挙に関係なく、議員の定数の4分の1が軍人に割り当てられているうえ、軍の関係企業が金融から不動産まで幅広い事業を手がけて収益を上げるなど、軍は政治、経済の両面で今も強い影響力を持っています。

その軍は1945年の3月27日にアウン・サン将軍らが旧日本軍に対して蜂起したことにちなんで、3月27日を「国軍記念日」と定めています。

祖国の独立のために戦った軍の正統性を誇示する重要行事として、毎年、大規模な式典と軍事パレードを行っていて、クーデターへの抗議活動が続く中でも軍は威信をかけて式典の準備を進めてきました。

アウン・サン・スー・チー氏が率いるNLD=国民民主連盟の議員らは、真の政府だとする独自の組織を立ち上げ、軍に対抗しています。

「CRPH=連邦議会代表委員会」というこの組織は、クーデターの直後に設立されました。先月4日には首都ネピドーで会合を開き、参加者が宣誓を行うなど通常の議会と同様の手続きを行って「国民に選ばれた議員による真の政府」として軍への対抗姿勢を内外に示しました。

軍や警察による拘束から逃れるため国内での活動はSNSが中心ですが、市民に銃口を向ける軍を「テロ組織」だとして非難し、閣僚や国連特使を独自に任命しています。市民からの支持も厚く、街頭での抗議活動ではCRPHを正当な政府と認めるよう求めるプラカードなどが多く見られます。

また今月17日には少数民族武装勢力に対してともに軍と戦おうと協力を求め、一部では銃を持った武装組織のメンバーが市民のデモを警護する動きも出始めています。これに対し軍は、CRPHを違法な組織と認定して関係者を次々と拘束するなど圧力を強めています。

国際会議の場では、軍が統治する今の体制が国の正式な代表であることを各国にアピールするなどみずからの正統性を主張しています。

「国軍記念日」の式典には例年30か国ほどの代表が出席してきましたが、ミャンマー軍によりますと、27日の式典には8か国から出席があったということです。

このうちロシアはモスクワから派遣されたフォミン国防次官が出席し、ミン・アウン・フライン司令官は演説の中で「ロシアは真の友人だ」と述べ、両国の結び付きをアピールしました。

またフォミン次官は式典に先立ち、ミン・アウン・フライン司令官との会談で「戦略的パートナーシップの精神に基づいて、軍事分野での協力を深めていきたい」と述べました。

アジアでの影響力拡大を図るロシアは近年、ミャンマーに戦闘機やヘリコプターなどを輸出し、軍の近代化に協力してきました。

これに対してミャンマー側も去年モスクワで行われた軍事パレードにミン・アウン・フライン司令官が出席したほか、ロシア軍の大規模な軍事演習にミャンマー軍が参加するなどロシアに接近していて、両国はそれぞれの軍が主導する形で結び付きを強めてきました。

ミャンマー政治に詳しい京都大学東南アジア地域研究研究所の中西嘉宏准教授はミャンマー軍はもともと中国への依存度が大きかったが、1990年代からバランスをとるためにロシアとの関係を強化してきた。ミャンマーにとってロシアはこの10年間最大の武器供与国ともなっている」と指摘しました。

そのうえで「軍の記念日の演説のなかでロシア軍に対する謝辞が述べられることは異例だ」と述べ、欧米各国が軍への制裁を一段と強めるなか、今後ミャンマー軍にはロシア軍との関係がさらに重要になっていくという見方を示しました。

d1021.hatenadiary.jp

#東南アジア