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 秋篠宮家の長女、眞子さまの結婚問題。今や国民の大きな関心事となっております。しかし、依然として混迷が続き、着地点は、いまだ見つかっておりません。先日、相手の小室圭さんがA4判28ページもの長い文書を公表しました。が、かえって、国民の多くが反発。マスコミからも批判を受け、ますます混迷が深まった感じです。

 今日のテーマは「眞子さま結婚問題が国民に問いかけるもの——その課題と展望」です。

 ある関係者が、しみじみとこう語っていました。「結局のところ、この問題は、眞子さま問題なのだな」と。そうなのです、皆さん。小室圭さんの母親の金銭トラブルが結婚をこじらせていますが、主役はあくまでも秋篠宮眞子内親王殿下なのです。眞子さまの迷走が国民をハラハラドキドキさせ、落胆させ、それでもなんとか国民は希望をつないでいる、ということなのではないでしょうか。この問題は、眞子内親王に始まり、眞子内親王に終わる。最後は眞子さまの腹一つで決まる。というか、眞子さまの気持ち次第で決着する話だ、と私は見ています。

 眞子さまの発表した文書、眞子さまの対処のやり方を通して、国民は内親王のあるべき姿、皇室の望ましい在り方や私たち国民にとって皇室とはなんなのか、という日頃はあまり意識しない、こうした課題を、この結婚問題をきっかけに考え直しているような気がします。眞子さまが「結婚は、私たちの好きにさせてほしい」と、仮にそう思っていたとしても、そうはならないでしょう。

 そうした展開には決してならないように思います。なぜなら、眞子さまは、内親王という重い立場にあるからです。

 私は1980年、毎日新聞に入社しました。私が京都支局に勤務していた1990年6月29日、秋篠宮夫妻は結婚しました。この時、秋篠宮さまは24歳、紀子さまは23歳。とても初々しい2人でした。翌91年2月、新婚の2人は京都を訪問。この時、私は、妻と一緒に秋篠宮夫妻と会いました。私も妻も、秋篠宮さまと会うのはこの時が初めてでした。妻は大学を卒業後、学習院大学に勤務し、経済学部の副手になりました。教授たちの秘書として資料整理などの手伝いをしていたようです。特に、川嶋辰彦教授、現在は名誉教授ですが、川嶋教授の手伝いをよくしていたようで、自然と、川嶋一家と親しくなりました。当時まだ高校生だった紀子さまと妻は、顔見知りとなったようです。そんな関係で、私たち夫婦は、紀子さまを通じて秋篠宮さまと知り合うようになりました。以来、今年で丸30年を過ぎましたが、秋篠宮さまと私は、個人的な交流を温めております。

 社会人としての常識的な対応なら、最優先で、トラブルの処理にあたると思います。宮様からじきじきに要求されたのですから。私が小室さんの立場だったら土下座をして、まず、「大変申し訳ございません」と、お詫びをします。すぐさまトラブルの相手と会って、速やかな和解を目指します。これが常識ある対応の仕方だと思います。

 しかし、小室さんは違いました。それをしなかったのです。そればかりか、3年間の予定でアメリカ留学してしまいました。

 このように、「多くの人が納得し喜んでくれる状況にならなければ、婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできない」と、秋篠宮さまから、小室さんが申し渡されたのは、18年11月の宮様会見が、初めてではありません。留学前、18年の早い時期に、宮様から直接、言われていたのです。日本にいたのですから、やろうと思えば、小室さんは金銭トラブルを早期に解決できたかもしれません。

 先ほど私は、「結局、この問題は、眞子さま問題なのだ」と、お話ししました。「眞子さまに始まり、眞子さまに終わる」と、話しましたが、その主役の眞子さまの姿勢に、私は当初から違和感を覚えています。

「当時、お互いに、お付き合いをする人は結婚を考えられる人でありたい、という共通の認識がございましたので、結婚につきましては、当初より念頭にございました」

「私の心は決まっておりましたので、プロポーズはその場でお受けいたしました」

 会見で眞子さまが、真剣な表情でこのように答えました。私は、テレビ番組の本番中にもかかわらず、かなり動揺しました。「なぜ、そんなに結婚を急ぐのだろうか」「結婚に向かって一直線だな」と、素直にそう考えました。交際開始時点から、まず結婚ありきの眞子さまに違和感を覚えたのです。

「それは、早く皇室を出たいのですよ。そうに決まっています」

 事情をよく知る関係者が私に、さも当然のことのように話してくれました。私はひらめきました。眞子さまにとって、結婚は目的ではないのだと、思い当りました。一般国民と同じような自由な生活を手に入れることが究極の目的なのではないか。要するに眞子さまは、早く皇室を出たいのだ。窮屈な皇室生活から抜け出したい。そのための手段として、結婚をあんなにも急いでいるのではないか、と考えるようになりました。

 小室さんは米国留学中です。結婚を強く望んでいる眞子さまが、彼に会うため米国に行こうと思ったらどうなるのでしょうか。

 眞子さまの場合、外国訪問のたびに宮内庁を通じて外務省に申請し、外交旅券を発行してもらわなければいけません。また、入国手続きなどがスムーズにいくように、事前に、外務省を通じて訪問国に連絡、調整しなければいけません。私的訪問の場合には、眞子さま渡航費用などは宮家の私費となりますが、同行する宮内庁職員や警備担当者の経費は公費となります。さらに、眞子さまの場合だと、出発前の天皇、皇后両陛下へのあいさつや記者発表なども考えなくてはいけないと思います。

「そんなに結婚したいのなら、結婚させてあげればいい。駄目ならすぐ離婚すればいいのだから……」

 このように考える人は私の周りにもいます。しかし、私が取材した範囲ですけれども、眞子さまが結婚して一般国民となった場合、離婚しても戻る家はありません。もう一般の人ですから、秋篠宮家には住めません。では、赤坂御用地はどうでしょうか。宮内庁職員たちのアパートはあります。しかし、眞子さまは職員ではありません。住むことは難しいでしょう。

 また、秋篠宮は名乗れません。姓もどうするのでしょうか。眞子さまを取り巻く環境は、国民と異なることが多いのです。前提条件が違い過ぎますから、眞子さまを国民と同じように考えて、「そんなに結婚したいのなら結婚させて、駄目なら離婚すればいい」と、軽々しく言ってほしくはありません。結婚にあたっては、時間をかけて賢明な選択を真剣に考えるべきだと思います。

 こんなこともあります。ある時、秋篠宮さまもふと私に、次のように漏らされました。この言葉は、強く響きました。私は今でも忘れることができません。

「どこに行くにも、必ず何人かついてきたりとか、それはやはり窮屈に思ったことはあります。そういう生活を、あなたやってごらんなさいと言われたら、十人中十人が窮屈だと思うでしょう。私も同じ人間ですから、そういうふうに思ったこともあります」

 現行の皇室の関係する法律や皇室制度そのものが、もはや今の時代にそぐわなくなっていると思います。眞子さまの結婚問題が、主権者である国民が皇族の自由などをより深く考えるきっかけになってほしいと願います。

 秋篠宮一家の世話をする「皇嗣職」の職制に注目してみましょう。皇太子一家を支えていた東宮職は、皇太子さまの世話をする男性の東宮侍従長や東宮侍従が控えていました。雅子さまを担当するのは、女性の東宮女官長東宮女官でした。男性と女性で仕事や役割がほぼ分担されていました。しかし、皇嗣職は、宮務官長と宮務官が置かれ、従来の侍従、女官という名称をなくしています。

 女性の宮務官が秋篠宮の世話をすることもありますし、男性の宮務官が紀子さまの仕事を受け持つこともあります。秋篠宮さまは、男性だからこの仕事、女性だからこの仕事と、最初から決めつけることはしないで、職員の適性や能力に応じて仕事を割り振ろうとしています。生物学的な男女の性の違いではなく、社会的、文化的に形成された男女の違いをジェンダーと呼びます。以前から、私は、秋篠宮さまがこのような社会的、文化的に形成された男女の違いについて違和感を覚え、改善に向けて努力をしたり、かなり意識的に発言しているように感じています。

 宮様の「大嘗祭」について発言は、皆様の記憶に新しいことと思います。18年11月、誕生日会見でした。この時、宮様は天皇の代替わりに伴う皇室行事「大嘗祭」について、「国費で賄うことが適当かどうか」と発言し、大きく報道されました。

 秋篠宮さまはこう述べました。

「宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、(中略)宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、それは、私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています」

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