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自由と正義2016年6月号の「ひと筆」に掲載された某僧侶の方が弁護士になるときに高僧に言われた一言というのが心に残っている。「捨てよ」…だったかな。

面白いなぁと思った。弁護士になって何か世のため人のためになることをしたい、というのは、普通に考えて良いことのようにも思うが、そう考えている時点で既にして「捨て」られていないのだよね。

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これが間違いの根本だということ。

#ローマカトリック教会#一神教
#反立憲主義#人の支配

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「剣法を学ぶ所以は、ひとえに心胆練磨。もって、天地と同根一体の理を果たして、釈然たる境に、到達せんとするにあるのみ」

白雲おのずから去来するも、青山もと動かぬように、無始以来不覚の迷執はあっても、その法性、本来つねに覚体である本門本覚

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釈尊や祖師方は、このようには説かない。

#自己愛世間愛

塩沼:「世の中を変えよう」と思っても、明日とか急にはなかなか変わらないと思います。「なぜ千日回峰行、こんな行をしたんですか?」と言われて、10代のときによく言っていた言葉は「世の中のため人のために、私は精一杯修行をしたい」ということでした。

ある日、そういう言葉をおそらく耳にした師匠が、お茶を飲んでいるときに笑い話で「坊さんなんていうのは、世の中のため人のためということはあんまり言わんほうがええな」と。

「世のため人のためというのは当たり前なんだ。まず自分自身がしっかりと心身ともに徳のある人間に成長すれば、自然と世の中のためになっている。『世のため人のため』という人間に限って、どこかで必ず自分のためになるような動きをしているものだ。だから人の為と書いて『偽り』と書くんじゃ」と。

そういう「世のため人のため」という大切な宝物の言葉は、心の奥底にしまって。そして、いろんな人との調和ですね。「自分だけが」ではなくて。自分自身もしっかりする。そして、しっかりした自分とみなさん、どんな人とでも相和して調和をしていく。この自律と協調性が大切だと思います。

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有名な話に、元武装共産党委員長田中清玄氏との出会いがある。雲水となった清玄氏に問う。

「入門の目的は何か」。清玄氏は胸を張って答える。「世のため人のためにと念願して修行したいからです」。老師はつぶやく。「奇特なことじゃ」。

三カ月後、同じやりとりがあって老師は烈火のごとく怒る。「まだ、分からんのか。わしは世のため人のために修行したことなど一度もない。皆、自分のためにやっているのや」。

清玄氏は、己のいのちをひたすら磨き続ける老師の姿が、そのまま他への布施行となっていることに気づいた。老師は語る。「一切が自分なのじゃ」。

中野貞一郎/下村正明・著

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#勉強法