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※本稿は、村上陽一郎『エリートと教養 ポストコロナの日本考』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

『大衆の反逆』という名著で知られるオルテガ・イ・ガセット(1883~1955)は、エリートとは、大衆よりも自分が優れていると自任するような輩ではなく、大衆よりも自分に対してより重い義務を課す人間である、という意味のことを述べています。それはまさしくその通りで、教養も積めば積むほど、自らに厳しくなる、と考えるべきだと思います。

人間は本能が壊れた哺乳動物である、という私の仮説をまず出発点に置きます。一般に、哺乳動物は、自らに与えられた欲望に対して、それらを抑制する本能を具備していると考えられます。生き物に最も主要な欲望の一つ、食欲も、例えば満腹したライオンは、目の前を格好の獲物である子鹿が通っても、目もくれません。性欲でも、雌にその準備ができていなければ、雄は野放図に雌を求めることはしません。同族と喧嘩はします。例えば雌をめぐる雄同士はしばしば、相手に傷を与えるほど激しい争いをすることがあります。しかし、相手が負けたというサインを出すのがきまりとは言え、相手を殺すようなことはまずありません。

しかし人間はどうでしょう。

本来なら本能が抑制しているはずの欲望の「過剰な」発揮を、人間は「人間性」という「大義」を持ち出すことによって、正当化しているのではないか。

では、人間はそうした「人間性」なるものに、一切歯止めをかけてこなかったか、と言えばそんなことはありません。原始社会においてさえ人間は、人間を超えるものの存在と、その存在が求めると思われる欲望の抑制習慣を作り出してきました。それは社会制度としての宗教に発展し、そこから放恣な欲望の発散を防ぐ方途が、社会のなかに構築されました。

というわけで、教養はさておいて、「理性(が生み出す道徳的命令)が邪魔をしなければ」人間はサルにも劣る、という主張の合理性は、こうした議論からも裏付けられると思います。

そして「教養」という概念の少なくとも一部は、ここで言う「理性の戒め」を実行するための根源として働くと私は考えています。「教養ある」ということは、しばしば「知識豊かな」と同義と考えられがちですが、私は、それは事の本質ではないと思います。むしろ、前述の議論を踏まえたうえで、ごく日常的な場面に引き戻して考えれば、「教養がある」ことの意味の一つは、何事にも「慎みがある」ということなのではないでしょうか。野放図な欲望の発揮を慎む(ことによって、理性が命ずる道徳律をも遵守しようとする)ための原動力として教養を考えることは、間違っていないと私は考えます。そしてこの「慎み」は、宗教を起源とする道徳や、理性の厳しい作用の結果としての倫理とは少し違った、より広い次元での、欲望の抑制装置に付された名前であるように思われるのです。

「慎み」という日本語に最も相応しい英語は〈decency〉だと思います。英英辞典を引いてみましょう。ある辞典ではこうあります。

behaviour that is good, moral, and acceptable in society

この用語法から、イギリス語の辞典であることはご想像いただけると思います(余計なことですが、私のワードプロセッサーは〈behaviour〉と綴ると、誤表記を表す朱の下線がつきます、まことに大きなお世話です)。もう一つの例を引きます。

the acceptable or expected ways of doing something in society

あえて直訳的な解釈を施せば、前者は、「社会において、良しとされ、道徳的であるとされ、あるいは許容できるとされる行為」となり、後者は「何事かをなすに当ってのやり方として、社会において、許容される、あるいは求められるもの」とでも言えばよいのでしょうか。どちらも「社会において」という限定副詞句がついていることが眼目でしょう。

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第6章 違法性

違法性の実質は,国家・社会的倫理規範に違反して,法益に侵害または脅威を与えることであると解される。

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孟子―滕 文公・下」に出て来ることばから。孟子は、弟子の「大丈夫(立派な男性)」に関する質問に、「『富貴も淫する能わず、貧賤も移す能わず、威武も屈する能わず(どんなに財産や地位を与えられても心を乱さず、どんなに貧しくいやしい身分に落とされても志を変えず、どんな権力や武力でも言うことを聞かせることができない)』、そういう人物こそ『大丈夫』というのだ」と答えています。

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 かくして彼の自賛を黙読し、朗誦してきますと、渾身に一種の白熱をば感ずるではありませんか。(略)天下議論に勇にして、身を挺して実行に当たる志士のいかに乏しいでしょう。彼は貫高を慕い、魯連を尊びました。素立の名とは。これ一命を為に擲つべき不朽の価値です。彼が千歳の下懦夫を起たしむる概あるは、常に一身洛に入らんとする大勇、露の命を不朽の価値に換えんとする覚悟ありしによります。

#科学哲学#科哲

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