北方領土 貝殻島周辺のコンブ漁 日本とロシアの民間交渉妥結 #nhk_news https://t.co/YhJravduun
— NHKニュース (@nhk_news) 2022年6月4日
北方領土の貝殻島周辺で行われるコンブ漁は日本とロシアの民間交渉で操業条件を決めたうえで例年、6月1日に解禁されています。
しかし、ことしはロシアによるウクライナ侵攻の影響で、交渉開始が例年より1か月以上遅れて5月27日に始まり、1日をすぎても出漁できていません。
こうした中、オンラインで行われていた交渉が3日、妥結しました。
交渉にあたった北海道水産会によりますと、漁の期間は去年と同じ6月1日から9月30日までとなりました。
▽採取するコンブの量は去年より89トン少ない3381トン、
▽ロシア側に支払う採取料は去年より233万円少ないおよそ8851万円となりました。ことしは去年より11隻少ない220隻が出漁する予定で、漁が始まるのは6月中旬以降になる見通しです。
交渉に参加した歯舞漁協の小倉啓一組合長は「時間はかかったが、妥結してほっとしている。とにかく出漁できることになってよかった」と話しています。
コンブ漁の拠点の1つとなる根室市の珸瑤瑁漁港では4日、出漁に向けて準備する漁業者たちの姿が見られました。
漁船の準備をしていた74歳の男性は「安全に操業ができるか心配な部分もあるが、例年以上に注意して漁を行いたい」と話していました。
根室市にある歯舞漁協昆布漁業部会の柿本康弘部会長は「ことしも操業を継続できることになりほっとしている。安全第一で漁を行いたい」と話していました。
北海道水産会によりますと、ことしのコンブ漁には去年より11隻少ない220隻が漁に出る予定だということで、今後、出漁に向けた準備が本格化することになります。
北海道の鈴木知事は「貝殻島のコンブ漁は歴史的に重要な漁業であり、多くの関係者が操業を待ち望んでいたと思う。道としては安全な操業が確保されるよう関係団体と連携して取り組んでいく」という談話を発表しました。
また、根室市の石垣雅敏市長は「コンブ漁の灯が途絶えることなく継続できたことに安どしている。地元経済にとって欠くことのできない大切な沿岸漁業であり、将来にわたり引き継がれていくことを望む」というコメントを出しました。
東京 芝公園に遺体 近くに「ウクライナに平和を」のプラカード #nhk_news https://t.co/pCsse4tnyh
— NHKニュース (@nhk_news) 2022年6月4日
3日午後10時前、東京 港区の芝公園で「人が倒れている」と110番通報がありました。
警察官が現場に駆けつけると、服が燃えた男性が倒れていて、まもなく死亡が確認されました。
捜査関係者によりますと、男性は年齢が60代から70代くらいで、近くに「ウクライナに平和を」「peace for Ukraine」などと書かれたプラカードが落ちていたということです。
また、そばに油のようなものが入った容器とライターがあったということです。
現場は東京タワー近くの公園で、夜間も出入りできる場所だということで、警視庁が身元の確認を進めるとともに、当時の詳しい状況を調べています。
#反ロシア#対中露戦
日本のEEZで中国調査船が観測機器の可能性高いもの投入を確認 #nhk_news https://t.co/SswxsrDTPd
— NHKニュース (@nhk_news) 2022年6月4日
外務省によりますと、4日正午すぎ、沖縄県石垣島からおよそ73キロメートル北側の日本の排他的経済水域で、中国の海洋調査船「東方紅3」が観測機器の可能性が高いものを海中に投入したことを海上保安庁の巡視船が確認しました。
これを受けて外務省は、調査船が海洋の科学的調査を行っているのであれば、日本の同意を得ておらず極めて遺憾だとして、即時に中止するよう中国側に外交ルートを通じて抗議しました。
#反中国#対中露戦#習近平伏魔殿体制=旧体制
昭和天皇を使嗾して日本を世界大戦へと引き込んだのは、他でもない、藤原氏が分立して5つに分かれた五摂家の中でも、もっとも歴史の古い近衛家の近衛文麿でした。
近衛文麿は昭和天皇の前で足を組んで、「天皇陛下。間もなく日本は滅びます。そのとき日本で革命が起こったらどうするんですか。それは、まさしく共産革命ですよ」と脅して日本を日中戦争に引き込み、その後は、あれよ、あれよという間に第二次世界大戦に巻き込まれていったことは公文書に事実として記録されています。
岸田政権は、それを再びやろうとしているのです。
なぜ近衛文麿は、天皇を足蹴にしてまで日本を世界大戦に引き込みたかったのでしょうか。
実は、皇室の政を仕切ってきたのは五摂家の中心的存在である近衛家で、大昔から天皇は象徴的な存在だったのです。
五摂家が皇室を外敵から守ってきた方法は、五摂家から皇室に送り込まれた聡明なお妃が生んだ子どもに皇統を継承させることだったのです。
しかし、大正天皇の妃である貞明皇后を最後に、五摂家と皇室との縁は断ち切られ、天皇は「世界支配層」の姦計に嵌められることになります。
前述したように、「ローマの休日」ならぬ「ローマの凶日」が、その典型的な例です。
「きみたち日本人はアメリカにこんな残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」田中角栄待望論がいまだ根強いワケ
— 文春オンライン (@bunshun_online) 2022年6月3日
首相就任50年#文春オンラインhttps://t.co/ubh9to08YR
田中角栄が首相の座を射止めたのは1972年7月。まもなく50年の節目を迎える。その手法は金権政治の象徴とされる一方、いまの政治家には期待できない豪腕ぶりから、数年おきに“角栄待望論”が巻き起こる。
50年の時を経ても国民に語り継がれる田中角栄の“凄み”とは何なのか――。
「きみたち日本人はアメリカにこんな残虐な目にあわされて、腹が立たないのか」
場所は広島の原爆資料館。発言の主はエルネスト・チェ・ゲバラ。言わずとしれたキューバ革命の英雄である。
革命後、新生キューバの国立銀行総裁として来日(昭和34年)した31歳のゲバラは、「原爆の犠牲者たちの霊を弔いたい」と独断で予定ルートを変更して原爆資料館を訪問。原爆慰霊碑に献花を行い、1時間ほど見学した後、同行した広島県職員にこの台詞を放っている。
戦後の焦土で日本がひっくり返るような狙撃計画を企て、高度成長期の日本でゲバラの言葉に激怒し、覇権国家アメリカと渡り合い、日本国を自在に切り回す快男児を描くとしたら、モデルは田中角栄以外、考えられなかった。
昭和史研究の第一人者、保阪正康の『田中角栄の昭和』にこんな件りがある。
《田中は首相在任中も、天皇に対してとくべつな感情を示していない。吉田茂や佐藤栄作とは違い、〈臣角栄〉という感情はほとんどもっていなかったように思える》
その最たるものが内奏(天皇に対し、国務大臣等が国政の報告を行うこと)である。
天皇の質問に対し、普通は政府の包括的姿勢を恭しく二言三言で答えて終わるところ、角栄は臆することなく詳細に、数字を羅列し、自らの考えも交えて徹底して語り尽くすのだという。天皇も周囲も戸惑う。当然だ。憲法上、天皇は政治に関与できない。突っ込んだ話し合いをすると批判も出てくる。しかも、内奏を終えるや「不肖田中にまかせてください」と胸を叩いてみせたとの逸話もある。
天皇・皇后が主催する園遊会の露骨な政治的利用(選挙区の支援者を多数招くなど)も平気の平左。日米首脳会談の席でニクソン大統領から天皇訪米を求められると、その場で承諾し、訪米の時期まで詰めてしまう。当然、宮内庁は激怒する。
《宮内庁長官の宇佐美毅は辞任覚悟で田中に会い、天皇の政治的利用を拒否する、と強い調子で申しでている。むろんここには天皇の意思が働いていたと見ることができる》
その一方で、角栄は国民に大人気の庶民派総理でもある。
新潟の雪深い寒村に生まれた馬喰の倅が高等小学校卒業後、15歳で単身上京。世間の冷たい風にもめげず、腐らず、街の土建会社の社長から国会議員に大出世し、遂には総理大臣に。
今太閤誕生、と謳われたこの奇跡の出世譚は国民から大喝采を浴び、ベストセラー『日本列島改造論』のスケールの大きさも相まって、田中角栄人気は空前の社会現象となった。
その裏では、莫大なカネと捨て身の度胸を武器に、ひたすらあがき、群がる敵を叩き伏せ、社会の階段を駆け上がった修羅の道がある。法律、社会倫理を無視して稼ぎまくったカネで仲間を集め、官僚を手なずけ、強大な権力を握った角栄は、その代償として《金脈問題》で総理の座を追われ、《ロッキード事件》で止めを刺された。
受託収賄罪等の容疑で逮捕され、総理経験者で初めて刑事被告人となり、金権政治家、闇将軍、カネに汚い悪徳政治家との汚名を着せられた角栄には、心の奥底に秘めたルサンチマンがあった。
角栄の番記者を務めたジャーナリスト、早野透の『田中角栄』に元官僚の長老政治家が角栄を諭す、なんとも切ない一節がある。
《「総理が札びらを切るなんてみっともない。やめなさい」と言うと、角栄は「じいさん、あんたには学歴もある。高級官僚だった自尊心もある。だが、おれには何もない。学歴もない。しがない馬喰のせがれには、これしかないんだ」と涙を流したというエピソードが伝わる》
実際、日本の政界を見回しても、悲しいかな、これぞ国家のリーダーの器、という大人物は皆無。世襲の横行が祟ったのか、はたまた政党助成金なる掴みガネが政治家から腕力と闘志、緊張感を奪ったのか、経済同様、政治も衰退の一途を辿っている。
角栄が沈没寸前の日本を復活に導けるか否かはともかく、周囲の誰もがうなる、強烈なリーダーシップの持ち主であったことは確かだ。その逸話は枚挙に暇がないが、たとえば政治生命を賭けて臨んだ昭和47年の日中国交正常化がある。
#外交・安全保障