田中耕太郎(1890 - 1974) - 法学者。東京帝国大学大学法学部長、元文部大臣、第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事。
小田晋(1933 - 2013) - 精神病理学者
三谷太一郎(1936 - ) - 政治学者。東京大学名誉教授、宮内庁参与、日本学士院会員。専門は日本政治外交史。
道垣内正人(1955 -) - 法学者、国際私法
加藤晋介(1956 - ) - 辰己法律研究所専任講師、弁護士
諸國沙代子(1992 - ) - ytvアナウンサー
岸信介(1896 - 1987)(山口中学校に転校) - 元首相
大森うたえもん(タレント)
甲本ヒロト(ミュージシャン)
岡山県は、1950年(昭和25年)の入学者選抜から1998年(平成10年)の入学者選抜まで、岡山学区および倉敷学区で学力均等方式による総合選抜制度を取った。
高度経済成長期の急激な生徒増に伴って、度重なる普通科高校の新設を余儀なくされる中、歴史や知名度の違いで生じる新旧高校間の学力格差拡大を避けるねらいがあった。
このうち岡山五校では、出願時における5高校受検者の受検校は一括して「岡山」とし、志望高校にかかわらず、出身中学最寄りの高校で学力検査を実施した。県教委は、合格発表数日前に各出身中学校において受検者一人ひとりの「所属指定校」を発表。所属を指定した各高校で受検者の合格発表を行った。
振り分けは、入学願書に記入された受検者の入学希望校を考慮しつつ、学力検査の成績を基準に受検者を階層化し、各校入学者の学力、男女比が平準化するように行った。通学環境や中学校ごとの平均的な生徒の入学希望校傾向から、振り分け先の高校やその比率は出身中学校ごとにほぼ決まっていた。
高校入試制度の見直しに伴う1999年(平成11年)の総合選抜制度廃止については、低下傾向にあった生徒の学力引き上げや、公立校間の特色ある競争を促すものと期待された一方、多くが県の政財・教育界の中枢を占める岡山朝日(旧第一岡山中学校・第二岡山高等女学校)、岡山操山(旧第二岡山中学校・第一岡山高等女学校)両校の卒業生らによって、知名度の高い母校の「再名門化」を図るねらいがあるのではないか、という批判もあった。
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