皇籍復帰案で「賀陽家」からは「好感触を得られている」 愛子さまと交流を深める二人の兄弟の素顔 #デイリー新潮https://t.co/ukgFrTa37F
— デイリー新潮 (@dailyshincho) 2023年3月15日
当主の正憲氏は、学習院大学法学部を卒業後メーカーに勤務し、英国へ留学。帰国後は大手信託銀行を経て、2000年に宮内庁に転職した。式部職に籍を置いたのち外務省に出向し、在デンマーク大使館1等書記官などを経て、現在は同省の儀典官室に勤務している。
「87年には、東宮御所(当時)で陛下と雅子皇后が密かにお会いになった際にも同席し、『取り持ち役』を務めています。つまり“最も近しいご学友”と言っても差し支えありません」(同)
ご学友にして最上位の男系男子を擁する旧宮家。そんな「最強カード」を持つ正憲氏は、
「大学時代は陛下のご学友グループのまとめ役のような存在でした。宮内庁に転職した時、ゆくゆくは陛下(当時は皇太子)の侍従になるのではと目されていましたが、幼い頃からご対等な友人付き合いをなさってきた正憲氏と“上下関係”が生じてしまうことを陛下が懸念されたこともあり、この案は立ち消えになったといいます。その後は外務省に出向したまま戻ってこなかったため、一時期は陛下と疎遠になったのではとささやかれたこともありました」(同)
「もし旧宮家の方々が養子に入るとすれば、今上陛下との血筋の近しさから常陸宮家がふさわしいのではないかと思います。愛子内親王殿下と賀陽家のご令息とのご縁がよい方向に進んだ暁には、まずお子様のいらっしゃらない常陸宮家にご令息が養子入りし、その後にご成婚という流れが望ましい。となれば、愛子内親王殿下は妃殿下として皇室にお残りになることができ、男児が生まれれば天皇家直系の男系男子となる。『皇位継承』『皇族数確保』という二つの観点からも、この上なく理想的なのです」
もっとも現行の皇室典範は、皇室が養子を迎えることを禁じており、
「典範を改正するか特例法を整備するかのいずれかが必要ですが、皇室を安定的に維持するためには、あくまで特例法で一時的に養子を取れるようにすべきです。なぜなら養子縁組は仕組みが複雑であり、恒常的に行われるとなれば、どちらの養子が格上で継承順位はどうなのか、といった問題が必ず生じます。それは皇位継承の正統性を揺るがすことにもなりかねません」(同)
とはいえ、愛子さまのご意思に反して特定の家系と縁談を進めるようなことはあってはならないし、またそもそも賀陽家が「復帰」に難色を示せば、無理を通すわけにもいくまい。
ところが、さる宮内庁関係者が明かすには、
「政府は、すでに意思確認のため賀陽家とコンタクトを取っており、好感触を得ているといいます」
とのことで、
「一昨年の有識者会議で重ねられてきたヒアリングでは、複数の専門家が内閣官房の役人から『旧皇族の復帰となれば、やはり賀陽さんの家でしょうかね』などと水を向けられていました。そもそも、有識者会議の報告書で明記された養子案というのは、実際にその意思を有する男子が存在しなければ定着するはずがない。それを裏付けるように、正憲氏ご自身も『自分の家が皇室に復帰する可能性があることを肝に銘じて過ごしてきた』などと、周囲に漏らしているのです」(同)
つまりは「復帰シナリオ」への合意ができているというのだ。
#天皇家
1840年3月16日、渋沢栄一が生まれました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2023年3月15日
生涯で500以上もの会社の設立に関わった栄一は、事業活動において一部特定の人々の利益を求める財閥を形成することを嫌ったといいます。
国民全体が豊かになることを望み、家業の澁澤倉庫以外では、自ら設立した会社でも多くて数%の株しか持ちませんでした。 pic.twitter.com/RbXqLQe0GW
1885年3月16日、『時事新報』の社説として福沢諭吉の「脱亜論」が掲載されました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) 2023年3月15日
アジア諸国と慣れ親しむのではなく、西洋に近づくように文明化社会を素直に受け入れるべきという評論で、例えば義和団事件において、西洋諸国と共に清国と戦うことは「脱亜入欧」への重要な出来事でした。 pic.twitter.com/riLmHFk7TU