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「当日出勤したら、午前10時の開店前に200人ぐらいの大行列ができていた。もうびっくり仰天。これはえらいことやと。」

1973年10月31日。

大阪・千里ニュータウンのスーパー大丸ピーコック 千里中央店」の従業員、清水暉人さんは目を疑った。

突然、主婦たちが押しかけ、トイレットペーパーを次々に買い求めていく。

これまで、トイレットペーパを買うための行列なんて見たことがなかった。
訳が分からない。

行列騒ぎは連日起き、新聞やテレビを通じて全国へ伝えられた。

そこには、この街ならではの事情があった。

大阪万博が開かれた1970年にかけて建設された、千里ニュータウン
5階建ての団地などに、若い世代が一挙に入居してできた新しい街だった。

上下水道完備で、当時はまだ30%程度の普及率だった水洗トイレが、この街では各家庭に当たり前のようにあった。

住民 山口靖利さん
トイレに“トイレットペーパー以外は使わないでください”って書いてあったのに、代わりに新聞紙を流して詰まった人がいっぱいいた。下の階で詰まったらアウト。上の階まで汚物が上がってしまう。トイレットペーパーが無くなるのを想像するのが怖い」

住民 赤井直さん
「八百屋さんのおばさんと話してたら、こられたお客さんが『大変や。オイルショックでトイレットペーパーがなくなるらしいよ』っていうんです」

「『え、何で?』って聞いたら『なんか知らんけど、オイルショックで機械を動かす油がなくなるから、トイレットペーパーが作れなくなるんだって』と」

「みんなが驚いて『え、本当?トイレットペーパーがもう作れなくなるの!?そりゃ大変や!』って」

若い子育て世代が多く、住民どうしの助け合いが当たり前だった町では、うわさの“拡散”も早かった。

住民の多くが入居していた団地は階段を挟んで玄関どうしは向かい合わせ。

こうした団地ならではの構造も、拡散に拍車をかけたという。

住民 赤井直さん
「お互いにドアを開ける音が聞こえるから、こちらがドアを開けたら向こうも顔を出して、日常的にいろんな話をしている。同じ階段を共有する10軒で集まって、知っていることはなんでも共有していた」

「『5分あったらわぁーっとうわさが広がっちゃう』っていう意味で『千里5分』と言っていたくらい、この街では情報の広がりが速い」

10月31日、「大丸ピーコック」の新聞の折り込み広告に特売品として載っていたのが、トイレットペーパーだった。

1パック4ロール入りで138円。

予想を上回る客が殺到し、用意していた分があっという間に売り切れた。

住民 山口靖利さん
「『トイレットペーパーがなくなる』といううわさは聞いていたけど『そんなアホなことはない』と信じていなかった。どうせ単なる店の売り惜しみだろうと」

「だけど、嫁はんに呼ばれて実際に行列を見たら『やっぱり本当に無くなるのか』と思った。戦後、物がなくてお金を持っていても買えなかった経験が身に染みているから、『明日あらへん』というのは嫌、もうこりごり。買いだめするのは悪いと分かっていても、家族のためにも買っておかなきゃしょうがないと」

ようやく落ち着いたのは、やがて店に大量の商品が入荷されるようになってからだった。

人々が躍起になって買いだめに走った、トイレットペーパー騒動。
その実態は、ニュータウンという特殊な環境に、不安な社会情勢やさまざまな偶然が積み重なり、うわさが広まったことによるものだった。

#アウトドア#交通