https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

ja.wikipedia.org

令外官ではあるが、起源は令制以前にさかのぼり、大化元年(645年)から孝徳・斉明・天智の3代において内臣に任じられた中臣鎌足藤原鎌足)が薨去の前日に大臣位を授けられたことに始まる。

安土桃山時代の豊臣政権下、五大老筆頭で最大の大名であった徳川家康も叙任された。以後も徳川家光等の歴代将軍が任命されている。

明治維新に際して廃止されたが、1885年に内大臣府が創設された。

ja.wikipedia.org
明治政府が1885年に太政官制を改め内閣制度を発足させた折、内閣を構成し国務を司る国務大臣(内閣>>
総理大臣を含む)とは別に、明治維新時に廃止された内大臣を宮中の大臣職として復活させた。さらにその職掌を司る部局として、宮内省内大臣官房、のちの内大臣府が新設された。令外官時代の略称が内府(だいふ)であったことと、内務大臣(内相)と区別する必要から、内大臣内府(ないふ)と略称された。

明治政府下における内大臣は、親任官である宮内大臣侍従長とともに、常に天皇の側にあって補佐(常侍輔弼)する官職であった。具体的には、御璽・国璽を保管し、詔勅・勅書その他宮廷の文書に関する事務などを所管した。また、国民より天皇に奉呈する請願を取り継ぎ、聖旨に従ってこれを処理するなど、側近としても重要な役割を果たした。

その職務や権限、天皇に助言できる範囲は、憲法学者ですら明確に定義することができないほど、非常に曖昧かつ抽象的であった。全ては天皇と就任した人物との信頼関係のみで成立するという、特殊な官職でもあった。これは当初、太政大臣を退く三条実美を処遇する名誉職としての意味合いが強かったことによる(事実、当時の宮中席次では内閣総理大臣より内大臣が上席とされた)。