日本サッカー協会 新会長に宮本恒靖氏が就任 47歳 戦後最年少https://t.co/twp0QiJHdD #nhk_news
— NHKニュース (@nhk_news) March 23, 2024
日本サッカー協会の新しい会長に、これまで専務理事を務めてきた宮本恒靖氏が就任しました。47歳での就任は戦後最年少で、宮本氏は会見で「たくさんの人を巻き込みながら日本や世界のサッカーの発展に貢献したい」と意気込みを述べました。
日本サッカー協会は23日、都内で評議員会を開き、任期満了に伴って退任する田嶋幸三会長の後任となる第15代の会長に、これまで専務理事を務めてきた宮本氏が就任することを承認しました。
宮本氏は47歳。
現役時代はガンバ大阪などでプレーし、日本代表として2002年の日韓大会、2006年のドイツ大会とワールドカップに2大会連続で出場してキャプテンも務めました。
引退後はガンバの監督を経て、おととし3月、日本サッカー協会の理事に就任し、去年2月からは専務理事を務めてきました。
47歳での会長就任は戦後最年少で、元Jリーガーでワールドカップに出場経験がある人の就任は初めてです。
宮本新会長は就任の記者会見で、「背筋が伸びる思いだ。選手の時からずっとそうだがサッカーをもっと大きな存在にしたい。自分1人だけではできないこともあるので、たくさんの人を巻き込みながら日本や世界のサッカーの発展に貢献したい」と意気込みを述べました。
また、新たな体制では、女子の日本代表「なでしこジャパン」のメンバーとして2011年のワールドカップドイツ大会で日本の初優勝に貢献した38歳の川澄奈穂美選手が現役の女子サッカー選手として初めて理事に就任しました。
宮本恒靖氏の経歴と公約
宮本恒靖氏は、大阪府出身の47歳。的確な判断が持ち味のディフェンダーとしてガンバ大阪などでプレーし、2005年には守備の要としてガンバをJリーグ初の優勝に導きました。また、日本代表として通算71試合に出場し、ワールドカップには、2002年の日韓大会と、2006年のドイツ大会に2大会連続で出場してキャプテンも務めました。
ヨーロッパでのプレー経験もあり、2007年から2年間、オーストリア1部リーグのザルツブルクに所属しました。
2011年に現役引退後はガンバの監督を経て、おととし3月、日本サッカー協会の理事に就任し、田嶋幸三会長の補佐として協会運営に携わってきました。
そして去年2月から専務理事となり、任期満了に伴って退任する意向を示した田嶋会長の次の会長を選ぶ選挙にあたって、ただ1人評議員16人以上の推薦を集め、去年12月の臨時の評議員会で会長予定者として承認されていました。
宮本氏はマニフェストを公表し、▽強い日本代表を作ることや、▽子どもや女子、シニアを重点領域としてサッカーに関わる人を増やしていくこと、そして、▽サッカーを通じて環境問題へのアプローチや部活動の地域移行といった社会課題の解決に貢献していくことなどを公約に掲げています。
宮本恒靖氏 記者会見で述べたのは
日本サッカー協会の第15代会長に就任した宮本恒靖氏が記者会見で述べた発言のほぼ全文です。
所信表明
評議員会と理事会を経て正式に15代目の日本サッカー協会の会長を拝命しました。今までも日本のサッカー界のためにしっかり仕事をしようという思いでやっていましたが、今後さらにその気持ちを強く持って、自分1人だけではなかなかできないこともあるのでたくさんの人を巻き込みながら日本のサッカーをよりよくしていきたいと思っています。
日本や世界のサッカーの発展に貢献していきたいと思います。
選手としても、メディアの立場にたっても、FIFAマスターで学んでいたときも、指導者として監督として過ごしているときも、サッカーをもっと大きな存在にしたいと思っていました。
そのきっかけは2002年のワールドカップでの経験が大きかったです。
初めて日本代表がワールドカップで勝利したロシア戦でピッチから見た光景、たくさんの人が喜んでくれていた光景。
渋谷でユニフォームを着た人たちがハイタッチをしながら喜んでいる光景。
チュニジアに勝って道頓堀でたくさんの人が喜んでいる様子を見た時に、サッカーが国民ごとになっていました。
日本代表の一つのゴールで人々が歓喜したり、涙を流して叫んだりするような光景が数多く見られました。
そういった国民ごとであるサッカーが長い間、この国にぜひ常態としてあってほしいと強く思うようになりました。
2022年のカタールのワールドカップでも同じくドイツに勝ったり、スペインに勝ったりした時に、たくさんの人が喜んで、一つの大きなムーブメントがあったと思っています。
あのような熱狂がいつも近くにあるような、サッカーが社会を元気にしたり、人々を喜ばせたりすることをこれからも目指していきたいと思っています。
そのときに立ち返るわれわれの基本的な原点が2005年宣言だと思っています。
“サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する”。
自分たちの事業や施策がいま正しい道を歩んでいるのかと思った時に、この宣言に立ち返れば、自分たちの現在地を知ることができると思います。
強い代表チームを持ち続けることが大事だと思っています。
男子代表だけではなく、女子代表、フットサル、ビーチサッカーにおいても強いチームがあること。
それを実現するには、今の代表チームだけに強化を特化してはいけないと思っています。
これらを軸に、マニフェストは大きく8つほどありますが、3つ抜き取りました。
“サムライブルー W杯最高順位 なでしこ 再び世界一”
サムライブルーがワールドカップで最高順位を取るということにつなげていきたい。ベスト16という壁を越えて、さらにその先にいけるように、選手たちチームは大きな野望を持ってやっていますが、そこをサポートしていく。
なでしこジャパンに関しては、再び世界一を目指す。
ワールドカップだけではなくオリンピックもチャンスがあると思っています。
それを実現するためには、A代表だけを強化していては十分ではなくて、下の世代の強化を継続して行っていく必要があると思います。
そのためには指導者の質も問題です。
今、たくさんの選手が世界に出て行って、指導者も世界を目指す人たちも出ていますが、指導者のレベルアップはもっともっと求める必要があります。
また、プレーの環境を整えることも必要だと思っています。
“女子のサッカーの伸びしろ まだまだある”
女子のサッカーの伸びしろがまだまだあると思っています。去年のワールドカップの試合を見ましたが、決勝の空気、7万5000人が集まって女子の選手たちがビジョンに映ったとき、アスリートとして本当にかっこいいと思う空気がありました。
日本にもそういった世界観があるようにしていきたい。
世界的な投資の流れがあるとFIFAのインファンティーノ会長も話しています。
そこも意識しながら、2031年の女子ワールドカップの招致を目指していきたい。
それをきっかけにやはりWEリーグの地位の向上が必要だと思っています。
たくさんの女子選手がプレーできるような環境を作っていきたいです。
“コンテンツ的な価値を高めるチャレンジを”
日本サッカー協会が持つコンテンツ的な価値を今以上に高めるようなチャレンジや試みをしていきたいと思っています。工夫を凝らしてもっと収入を増やすことができないかや、パートナーの企業と共創して新たな価値を生み出し、サッカーを通して社会課題を解決することにつなげていくことで、われわれの商業的な価値も高めたいと思います。
これからのJFAは、発信と露出の機会を工夫して、もっともっと近い存在に。
たくさんコミュニケーションがとれるような組織になっていく。
自分がJFAの組織にいなかった時は少し遠い存在に感じていたので、改善していきたいです。
2050年までにワールドカップをもう一度国内で開催して、優勝をしたい。
今は8万人を収容するスタジアムがないですが、10年後、20年後、30年後をしっかりと考えていろんな布石を打っていかないといけないと考えています。
1人ではできないですし、たくさんの人を巻き込んでやっていかないといけないと思います。
皆さんでそういった世界にたどりつけるようにしたいと思っています。
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