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本を読みたかったので(おしゃべりではなく)「テラスドルチェ」に行く。

海老ピラフセット

ブレンド珈琲と(サービスの)ミニ珈琲ゼリー

夏ドラマをチェックするために購入した雑誌。

夕食は焼き魚(シシャモ)、アスパラのベーコン巻、トウモロコシ、大根の味噌汁、ごはん。

ヨーグルト+ブルーベリー

今日は新聞、SNS(ブログ)、ラジオ、メール、電子書籍、紙の雑誌、紙の本、TV、電話、紙の日記帳と一日でたくさんのメディアを使いこなした一日だった。私たちはメディアを複合的に使いこなし、多重的な生活空間の中で生きている。という話を木曜日からのオンデマンド授業ではするつもりである。

 近年は、優秀な学生が通う名門校というイメージがすっかり定着した観のある早稲田大学。しかし、かつての卒業生たちは、いかに早稲田がいい加減でだらしのない学校であるかをアピールすることが多かったという。

「そこには単なる自虐や韜晦(とうかい)だけではなく、早稲田は東大などとは異なる独自の価値観を持った学校である、という自己主張がありました」――そう語るのは、早稲田出身の日本思想史研究者・尾原宏之さんだ。

 戦後、早稲田大学の入学難度は飛躍的に高まるが、戦前の卒業生は母校が難関大学になることを必ずしも喜ばなかった。それどころか、過去の簡単な入試を誇らしげに語り、その復活を強く要求する者さえいた。彼らは、希望者はなるべく全員入学させ、その後ふるいにかければよい、と考えた。

 彼ら卒業生の要求は、そう突飛なものではなかった。というのは、入試有害論は創設者の1人である高田早苗の持論でもあったからである。明治40年代初頭、高田は上級学校への「入学」試験が、受験生をふるい落とす「拒絶」試験と化している現状を強く批判した。厳しい入学試験が学校教育を受験のための「詰込み教育」に変えてしまい、人物を育てるための教育を妨害しているというのである。
 
 高田は「入学試験などを施さず、自然の径路に依つて、学生をして学問を継続せしむるだけの設備が整ふやうになる」ことが日本の学校教育を健全化する道だと訴えた(「現代学制の欠点」『早稲田学報』第152号、「教旨と風紀」同第176号)。

 この理屈からすると、無試験入学こそが「正しき道」ということになる。いうまでもなく「拒絶」試験の最たるものは、旧制高校の入試である。なぜ高校に多くの受験生が殺到しふるい落とされるのかというと、その先に帝国大学があるからである。東大を頂点とするエリート校は、門戸を閉ざすことによってエリートたり得ている。ならば早稲田はその逆を行く。早稲田の入りやすさは、それ自体が高田の教育論に基づく、反・東大的な営為といえなくもないのである。

「私立大学中早稲田程不真面目らしく見られる学校はなからう、或は徒党を組み、或は隊伍を成して、所謂弥次連を組織するの妙を得てをるのも独り早稲田に見る而已(のみ)、彼の野球戦又は諸種の歓迎会に望んで見ても事実明かである、聞く所によれば、元来早稲田には学校に籍だけ置いて遊んでをる者が二千余人もあると云ふことだ」。

 早稲田の学生の粗暴さやだらしなさを批判しているようだが、決してそうではない。著者の平元はこう続ける。「不真目らしくして、尚且つ今日の大発展を成し、破格の栄誉を担つたと云ふのも、亦決して他の私立大学中に見る事の出来ない例である」。

 決して勉強しないわけではない。「自分の身に着けるための勉強」、自分の興味のある勉強に、それぞれのやり方で没頭しているのである。早稲田の講師になる際、「優や良より可の方が多い」ことが問題になった国文学者の暉峻(てるおか)康隆も「好きなことだけは勉強したからね。つまり呑む量と同じだけ勉強したね」と学生時代を振り返る(「今昔の早稲田」『早稲田学報』1950年9月号)。

 早稲田を主要な舞台の一つとする小説『人生劇場』の作者、尾崎士郎は、「早稲田は陽気であり、野放図な楽しい学校であった」といった(「早稲田大学について」)。民衆が早稲田を好んだとすれば、おそらくその陽気や野放図と深い関係がある。早稲田の歴史は、日本の大学と人間形成のあり方に、東大とは異なるモデルを提供した。それは、よくいえば授業などに縛られず自分のやりたいことを追求できる場所であり、悪くいえば「レジャーランド」化の先駆である。

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#食事#おやつ