https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

blog.goo.ne.jp

カップ

業者は今日別の現場で作業をしているのである。私は怒った。この種のことは今回だけはないのである。7月28日に足場を組み立ててから、約束では12日間で(お盆前に)終わるはずだった外壁の塗り替え工事が8月末日の今日になっても足場が撤去されていないのである。約束の3倍の期間が経っている。

アメリカンドック

モカアイスオレ

フィナンシェ

夕食は鯵の塩焼き、サラダ、茹でトウモロコシ、味噌汁、ごはん。

伊藤:今回の式典で、初めて「都の西北」で始まる早稲田大学の校歌を3番まで腕を振って歌いました。

田中:教職員も学生も含め、交流は非常に盛んです。代表的なものが図書館で、20年以上前から、専任教職員・大学院生・学部生は入館カードが共通で使えるようになっています。学生間の関係では、やはり早慶戦ですね。スポーツのイメージが強いと思いますが、将棋部やコントラクトブリッジクラブ(トランプゲーム)など、あらゆる分野で活発に対戦しています。職員間でも、国際部、広報室、教務部など、さまざまな部署で、意見交換の機会を設けています。

──今年は大隈重信の没後100年に当たりますが、創始者同士の間にも交流があったとか。

田中:福澤諭吉先生が近代私学としての慶應義塾を設立したのは、早大の設立より20年以上遡る1858年です。当時、大隈重信先生は政府の高官として、福澤先生は教育者として活躍していました。顔を合わせるまではお互い「生意気な奴だ」と思っていたそうですが、ある時、雑誌の編集者が二人を引き合わせてみたところ意気投合し、肝胆相照らす仲になった。その後、明治14年の政変1881年)で下野した大隈先生に、福澤先生は大学設立を勧めたと伝えられています。大隈先生は翌年、早稲田大学の前身となる東京専門学校を設立し、国家の未来を担う人材育成に乗り出しますが、開校式には福澤先生がいらしています。

伊藤:大隈先生は政治家、福澤先生は教育者と立場は違いましたが、二人はともに、民主主義への強い思いを持っていました。福澤先生が提唱し、現在も慶應義塾に受け継がれている精神に独立自尊があります。人間が自らの尊厳を守ると同時に、他者の独立や尊厳を大切にする。それがやがて地域や国の独立にもつながっていくという考え方です。

 大隈先生もこの志に共感を持って活動していました。東京専門学校を創立したのと同じ1882年、大隈先生が立憲改進党を立ち上げると、犬養毅尾崎行雄といった慶應の出身者が門下に入り、民主主義を勝ち取ろうと奮起します。私学である早稲田と慶應のチームワークが日本に民主主義を根付かせたといっても過言ではないと私は思っています。

田中:早稲田の建学精神の一つに「学問の独立」があります。近代国家を支える国民を育成するためには教育が必要で、そのためには学問が権力に左右されず独立していなければいけないと大隈先生は考えた。これは福澤先生の「独立自尊」の教えとも非常に近しい部分があると思っています。「ライバル」と目されるようになったのは早慶戦の応援に熱が入るようになったころからで、そもそもはお互いに学び合う関係性から始まっているんです。

 今も、慶應から学ぶことは多いです。例えば、私は以前から、慶應義塾大学の卒業生は愛校心が強いと感じていまして、なぜだろうと思い伊藤先生に聞いてみた。すると、一貫教育校である普通部や中等部、また大学でも、福澤先生ご自身の言葉で書かれた『福翁自伝』を新入生全員に配っているそうなんです。ああそうなんだと感心して、早稲田でも今年の入学式では、早稲田大学歴史館の館長が書いた『大隈重信早稲田大学』という新書を新入生全員に配布しました。

──一般的に「早稲田はバンカラ」「慶應はスマート」というイメージがあります。実際はいかがでしょう。

伊藤:良い意味での「スマート」は望むところですが、「上流」や「お金持ち」となると違います。慶應は開学当初から、「ミドルクラス(中流階級)の大学」として自分たちを位置づけてきたんです。身分制度が廃止され、誰もが学問をすれば社会の発展に貢献して結果として地位や財がついてくる。学問を学ぶ中流階級の層を分厚くし、民主主義の基盤を固めていこうという発想が根底にありました。

 この話を授業で学生にすると「でも学費高いじゃないですか」なんて反応が返ってきたりするんですね。でも、私立学校の運営には一定の学費がかかります。国立大学の学費が安いからそう見えるのであって、お金持ちでないと慶應に行けないということはありません。

学問のすすめ』には「人から好かれるような顔色や容貌にして友達を作る」という一節があります。当時の肖像画を見ると、福澤先生自身、おしゃれな着流しといった普段着で腕を組んでいることが多く、肩肘張ったスーツ姿は意外と少ない。清潔ではあるけれど、えらぶらないということを重視した「スマート」を理想としています。

田中:早稲田の特長は、「誰にでも居場所がある」ということです。創設当初から学校運営の中核を担い、早稲田大学と改称した後で初代学長に就任した高田早苗という人物がいます。彼は、上京や進学がかなわない人々のために『早稲田大学講義録』のシリーズを出版して全国に配布しました。それを読んで学問を志す若者が地方から大勢出てきたと言われています。その意味で、早稲田のほうが庶民的という面はあると思います。

 ただ、最近は学生の見た目の違いはなくなっています。私は1998年に早稲田大学に教授として着任しましたが、その頃はもう、慶應の学生と早稲田の学生で見た目の区別がつかないと言われていた。まあ、慶應の先生が早稲田に来ると「やっぱり慶應の学生のほうがおしゃれだな」と言っていますので、どちらかといえば早稲田のほうが地味ではあるのかもしれませんが(笑)。

伊藤:キャンパスも変わりましたよね。われわれが大学生だった頃、早稲田は立て看板が乱立していました。

 今は講義棟の建て替えが進み、近代的できれいなキャンパスになっています。かつての早稲田を好む方もおられるとは思いますが、相当な変貌です。

──田中総長は6月の総長選で再選を果たしました。今後の大学のビジョンをどうお考えですか。

田中:2040年には日本、50年にはアジアで「最も学ぶ価値のある大学」と思われることを目指します。以前、新聞のインタビューでこの話をしたところ「東大・京大を抜く」と書かれたのですが、偏差値やノーベル賞の数で東大や京大に勝つというつもりではありません。意識しているのは卒業後の社会貢献です。官僚や企業のトップになる以外にも、社会に貢献する職業はいろいろとあります。例えばNPO法人のリーダーや中学・高校の教員、地方の新聞記者など、あらゆる分野で活躍する人材を多く輩出できる学びを提供する。そのための学修効果を上げていくことに尽力したいです。

──早稲田では昨年の入試から政治経済学部の入試科目で数学が必須化され、話題になりました。

田中:政治経済学部の入試改革については、学部内でも長い間、議論を積み重ねてきました。2004年に国際政治経済学科を設置した時に、ゲーム理論統計学入門の授業を必修にしたんです。

 その頃から、私学文系向けの3教科(国語・英語・社会)の勉強では政治経済学部の授業についてこられない、一般入試に数学を取り入れるべきという話が持ち上がっていた。そこから10年以上を経て今回の入試改革に至ったわけです。数学への苦手意識からか受験者数は減りましたが、その分、入学者の学力も上がって、結果としては良かったと思っています。

 日本では高校生の時から「文系」「理系」とクラス分けがなされますが、OECD諸国の中でこんなに明確に分けている国はおそらくほかにない。それが日本のデジタル化の遅れにもつながっていると思っています。例えば慶應は私が高校生の頃から経済学部の入試で英語・国語・社会のほかに数学が必須で、すごく先端的でした。そういう意味でも、早慶は日本の私学のなかでも文理のインターフェース(相互理解)を率先して担えるのではないかと思っています。

──慶應の側はいかがでしょうか。

伊藤:今は入試改革以上に、大学も大学院も含めて原点に立ち戻り、どんな役目を担ってどのような学生を育てていきたいか、長期的なビジョンや目標を作りたいと思っています。

 特にヨーロッパにおいて、国立大学は数百年単位で独立を保ちながら社会の発展を支えてきた歴史があります。先日、オランダのライデン大学を訪れました。まもなく創立から450年を迎える、同国最古の大学です。市民の方々は、大学という存在がいかに国や世界の発展を支えてきたのかを認識していました。私たちも同じように、現役学生たちの孫やひ孫の代まで含めて「この大学で学んで良かった」と思ってもらえるようなグランドデザインを構想したい。

 具体的に力を入れたいと思っていることの一つが国際化です。以前、学生から「国際化は早稲田のほうが進んでいる」と言われてショックを受けたことがありました。既に、経済学部、総合政策学部環境情報学部は英語だけで卒業できるプログラムがあります。大学院でも慶應と海外の協定校の両方で学び、修了時に二つの学位が取得できるダブルディグリープログラムを用意している。ただ、まだ認知としては弱いのかなと。印象としても実感としても、国際化が進んだ大学であると学生が感じられるプログラムを増やしたいと思っています。

──新型コロナウイルスの感染拡大を経て、これからの時代に、大学に求められる役割をどうお考えですか。

伊藤:少し話はそれますが、慶應の教員の中でも、ウクライナ危機を機に、メディアに出演するようになった方が多くいます。専門性をもって長年蓄積してきた知見が、思わぬタイミングで社会の役に立つことがある。ポストコロナでこうすべきという短期的な視点もありますが、できるだけ長期的なビジョンを持ちたいというのが基本的な姿勢です。

田中:表現は違いますが、伊藤先生と私の考えは近いと思います。コロナ禍はネガティブな経験でしたが、人類には未知の問題があると肌で知ることができた。学問を基礎にした対処を学ぶ機会になったと思っています。

伊藤:一方で、データに基づく議論を否定する「反知性主義」と呼ばれる動きが進んでいることは危惧しています。例えばYouTube世代は、動画の最初の3秒とか10秒を見ておもしろいかどうかを決めてしまう。データを根拠にした話より、先入観に基づいた信条が重視され、物事の結論が導かれることも増えています。

 一番良くないのは無視や無関心といった態度です。今は、例えば理系の人が何か言おうとしても文系の人が「わからない」と耳を塞いでしまう部分がある。これが進んでいくと、好き嫌いを基準に物事の役割が決まる大変な世の中になってしまう。


田中:そういった意味ではアメリカも危険な臭いがしています。トランプ前大統領の出現以降、反知性主義を前面に押し出し、アメリカは「インテリ」対「インテリを拒否する人々」に二分された。数秒で相手を判断するような風潮がエスカレートすると、暴力による闘争すら肯定する社会になりかねません。大学の役割は、人々が教養と知性を育み、正確な判断ができるようになる助けになること。そこに立ち返る時期が来たと思います。

伊藤:大学側が一致団結して、学問の役割を伝えていく必要があります。早慶はもちろん、あらゆる教育機関の方と手を取り合いながら、しっかりとした学問を積むことが良い人生、良い社会につながるというメッセージを伝えていきたいと強く感じます。

#食事#おやつ