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パリオリンピック、大会組織委員会エスタンゲ会長が開会式から一夜明けた27日会見し、「特別な開会式を開催することができるのだと世界に示したかった。感動的な瞬間を思い出すことは本当にうれしく思える」と振り返りました。

26日に行われたパリオリンピックの開会式は通常の入場行進ではなく、選手たちが船に乗り込んでセーヌ川を下るかつてない形式で行われました。

一夜明けて、27日に行われた大会組織委員会の会見では、式に205の国と地域などから6800人の選手が参加して85隻に乗船し、30万人以上の観客が訪れたことが発表されました。
そして、エスタンゲ会長は「特別な開会式を開催することができるのだと世界に示したかった。感動的な瞬間を思い出すことは本当にうれしく思える」と振り返りました。

一方、選手が長時間雨の中にさらされたことをどう考えているかという質問に対しては「多くの選手は早めの帰宅を選ぶことができた。雨が多かったので大変だったと思うが選手は最前線に立って参加してくれたと思う。お礼を言いたい」と答えました。

また、別の会見などでは聖火台がアルミニウムで作られていて炎は電気によるもので二酸化炭素を排出しないことなどが発表されました。

午前11時から午後7時まではパリ中心部にあるチュイルリー公園に展示され、1日1万人が近寄って見学が可能で、日没から午前2時までは高さ60メートルに浮かぶということです。

パリオリンピック、柔道男子60キロ級でオリンピック初出場の永山竜樹選手が、敗者復活戦を勝ち上がって銅メダルを獲得しました。

目次

永山竜樹 敗者復活戦を勝ち上がって銅メダルを獲得
=決勝までの勝ち上がり=
フランス “柔道人気” 競技人口は日本の4倍

永山竜樹 敗者復活戦を勝ち上がって銅メダルを獲得

28歳でオリンピック初出場の永山選手は初戦の2回戦は相手の反則負けで勝ち、準々決勝で去年の世界選手権の金メダリストでスペインのフランシスコ・ガルリゴス選手と対戦しました。永山選手は開始2分過ぎから長く寝技をかけられても耐え審判が「待て」をかけましたがガルリゴス選手がすぐには寝技の体勢を解かず、審判は2人が離れた後、永山選手の様子を見て絞め技によるガルリゴス選手の一本勝ちを宣告しました。永山選手は納得がいかない表情でしばらく畳を降りず、日本は「待て」がかかったあとにも相手が絞め技を続けたとして抗議しましたが判定は変わりませんでした。

永山選手は敗者復活戦で東京大会の銀メダリストで世界ランキング1位の台湾の楊 勇緯選手から延長戦に入る寸前に大外落としで技ありを奪って優勢勝ちしました。

3位決定戦は、トルコのサリー・イルディス選手と対戦し、開始48秒で大腰で技ありを奪ってペースをつかむと、3分すぎに横車で再び技ありを奪って合わせ技で一本勝ちし銅メダルを獲得しました。

この種目での日本選手のメダル獲得は、4大会連続です。

金メダルは、カザフスタンのイェルドス・スメトフ選手が獲得。スメトフ選手は3大会連続のメダル獲得となり、カザフスタンの柔道で初めての金メダリストとなりました。

銀メダルは、前回銅メダルのフランスのルカ・ムハイジェ選手で、銅メダルは、永山選手と、スペインのガルリゴス選手でした。

永山竜樹「価値のある銅メダル」

柔道男子60キロ級の永山竜樹選手は、表彰式で銅メダルをかけられましたが、笑顔はなく、表情は緩みませんでした。

永山選手は「これまでいろいろなことがあったので金メダルではないですが、価値のある銅メダルです。まだちょっと悔しい気持ちはあるが、次に向けてまた進んでいこうと思います」とかみしめるように話していました。

そして「ほかの大会と違ってオリンピックはすごい舞台でした。今後の人生に生かしていきたいです」とさらなる成長を誓っていました。

【解説】ライバルとの代表争い乗り越え 価値ある銅へ

永山選手は、ライバルとの代表争いを乗り越えてあこがれのオリンピックの舞台に臨み、銅メダルという結果をつかみました。

長年、永山選手の壁となってきたのが大学の先輩でもある高藤直寿選手でした。東京大会の代表を争った時には国際大会で直接対決の末、敗れてオリンピック出場はかないませんでした。

パリ大会に向けても高藤選手を追う立場となった永山選手。試合で思うような結果が出ないことに代表の座をあきらめかけたといいますが、去年の春、フランスへの武者修行に赴いたことが大きな転機となりました。当時を振り返り「緊張の糸が切れて『もう駄目だ』と思っていたが、フランスに行ってリフレッシュして、1人になっていろいろ考えた。1回諦めて吹っ切れていたのでもう1回スイッチを入れることができた」と、その後は出場した国際大会で2連勝。去年12月のグランドスラム東京の決勝では、高藤選手との直接対決に臨みました。

前回の対戦と同じく延長戦にもつれたものの、今回は永山選手が得意の一本背負い投げで一本を奪って優勝し、その結果を評価され念願のパリ行きの切符を獲得しました。その後、ことし5月の世界選手権でまさかの初戦敗退を喫してからは得意とする担ぎ技だけでなく、足技を磨いたほか組み手のバリエーションを広げてワンパターンにならない柔道を心がけてきました。

たびかさなる敗北を、みずからを高める機会ととらえ努力を怠らなかった永山選手でしたが、準々決勝、スペインの選手との試合で絞め技での一本負けを喫し、敗者復活戦に回ることになりました。

この敗戦を巡っては待てのあとに締め続けられたなどとして判定に抗議したものの、結果は覆りませんでした。それでも永山選手は敗者復活戦を制して3位決定戦までたどりつき、価値ある銅メダルを手に入れました。

=決勝までの勝ち上がり=

【敗者復活戦】

永山選手は、敗者復活戦で、前回の東京大会のこの種目の銀メダリストで世界ランキング1位の台湾の楊勇緯選手に、延長戦に入る寸前に大外落としで技ありを奪って勝ち、3位決定戦に進みました。

【準々決勝】スペイン選手に絞め技で一本負け 敗者復活戦に

永山選手は、準々決勝で去年の世界選手権の金メダリストでスペインのフランシスコ・ガルリゴス選手に絞め技で一本負けし、敗者復活戦にまわりました。
永山選手は開始2分過ぎからガルリゴス選手に長く寝技をかけられましたが、足をからめて必死に耐え、審判が「待て」をかけました。

しかし、ガルリゴス選手はすぐには寝技の体勢を解かず、審判は2人が離れた後、永山選手の様子を見て絞め技によるガルリゴス選手の一本勝ちを宣告しました。
永山選手は一本負けの判定を宣告されたあとも納得がいかない表情で、しばらく畳を降りませんでした。

“スペイン選手「待て」のあとも絞め技”と抗議も 判定覆らず
全日本柔道連盟の金野潤強化委員長は待てがかかったあとにもスペインの選手が絞め技を続けたとして判定に抗議しました。

金野強化委員長や鈴木桂治監督は国際柔道連盟の担当者など、関係者と映像を確認しながら話し合いましたが、鈴木監督はその後、「覆らなかった」とだけ話し、判定が変わらなかったことを明らかにしました。

永山選手の試合後、金野強化委員長は「『待て』がかかったあとにも長く締めていて、あれを許していいのかと感じている。判定が覆るかはわからないが、われわれとしてやれることをやりたい」と話していました。

【初戦の2回戦】相手の反則負けで準々決勝へ

パリオリンピック柔道男子60キロ級で、オリンピック初出場の永山竜樹選手は、初戦の2回戦で世界ランキング25位のブラジルの選手に延長戦の末、相手の反則負けで勝ち、準々決勝に進みました。

フランス “柔道人気” 競技人口は日本の4倍

東京オリンピックは原則、無観客となりましたがパリ大会では再び、観客が会場に入れるようになりました。フランスでは柔道がさかんで、競技人口は50万人余りと日本のおよそ4倍になっていて、会場のシャンドマルス・アリーナにも大勢の観客が入っています。

フランスの選手の試合が始まると観客の熱気はひときわ高まり、選手たちの顔をプリントした大きなボードや国旗を振りながら、大声援を送ったり、フランス国歌の「ラ・マルセイエーズ」を合唱したりして選手を後押ししていました。

そして、男子60キロ級の準決勝でフランスの選手が延長戦の末に競り勝つと会場を揺るがすような大きな歓声があがっていました。また、フランスの選手以外の試合でも一本勝ちを収めたり、白熱の試合が展開されると惜しみない拍手が送られていました。

パリオリンピック柔道女子52キロ級で阿部詩選手が大会2連覇を目指しましたが、2回戦で世界ランキング1位の相手に一本負けで敗れてこの種目、まさかのメダルなしに終わりました。

2大会連続出場の阿部選手は男子66キロ級、兄の阿部一二三選手と史上初となるきょうだいそろってのオリンピック2連覇を目指しました。

阿部選手は1回戦でカナダのケリー・デグチ選手に開始57秒に大外刈りで一本勝ちして2回戦に進みました。

世界ランク1位を相手に技あり奪い 試合を優位に進めるも

続く2回戦は世界ランキング1位、ウズベキスタンのディヨラ・ケルディヨロワ選手と対戦しました。

阿部選手は序盤こそ得意の投げ技を再三かわされましたが、開始2分すぎに内股で技ありを奪って試合を優位に進めました。

その後も阿部選手は積極的に技を仕掛けますが、3分すぎに一瞬の隙を突かれて相手の谷落としで一本負けとなりました。

阿部選手はまさかの2回戦敗退となり、兄の一二三選手と史上初となるきょうだいでの2連覇を目指してきましたが、この種目メダルなしに終わりました。

試合後 大きな泣き声をあげ続け 崩れ落ちる

阿部選手は一本負けを喫したあと頭を抱えながら立ち上がり、目を大きく見開きました。

そして、礼を終えて、相手の選手と握手をかわしましたが、試合会場をおりる前に再び礼をすると、直後に顔をゆがめてうずくまりました。

このあと、コーチに抱きかかえられるようにして会場を下りましたが、コーチに抱きついたまま絶叫するような大きな泣き声をあげ続けて崩れ落ちるようにひざまずきました。

その姿を見た会場の観客からは「詩」コールが沸き上がり、この階級で圧倒的な強さを見せてきた阿部選手の健闘をたたえました。

そして、阿部選手はコーチに抱きかかえられて再び歩き出し、観客の拍手に送られて会場をあとにしました。

柔道女子 増地監督「声かけられなかった」

柔道女子の増地克之監督は敗れた阿部詩選手について「声をかけることはできなかった。背中をさするぐらいしかできない。本人も落ち込んでいるので少し時間をかけて、ゆっくりと話をしたい」と状況を説明しました。

敗れた試合を振り返り「いやな相手との対戦だと思っていたが、相手の組み手を嫌がって下がったところで入られた。誰もが金メダルが固いんじゃないかと言われてきた中で連覇する難しさを改めて感じた」と話していました。

東京大会直後 “2連覇”見据え両肩の手術に踏み切る

阿部詩選手は東京大会直後の2021年の秋、パリでの2連覇を見据えて両肩の手術に踏み切り、およそ半年間、畳での稽古ができない状況が続きました。

復帰戦となったおととしの全日本選抜体重別選手権は途中で棄権したものの、その年の6月の国際大会で優勝すると、去年の世界選手権はオール一本勝ちと回復ぶりをアピール。さらにことし3月の国際大会では腰のコンディションへの不安を抱えながら決勝で東京大会の銅メダリストを相手に開始わずか7秒で内股を決めて一本勝ちで優勝しました。

大会後には「100%ではない状況でもしっかり勝ち切るということを意識しながら戦った。パリの舞台でそういう場面があっても絶対に勝ちきる強い意志を持つという経験ができた」と本調子ではない中でも、勝利をつかめる自信を深めていました。

そして今大会も1回戦を順当に勝ち上がり、2回戦も技ありを奪ってリードしていましたが、まさかの逆転負けを喫し、自身の2連覇、そして、兄の一二三選手との2連覇をともに逃すかたちになりました。

【1回戦】開始57秒 大外刈りで一本勝ち

東京大会の金メダリスト、阿部詩選手は1回戦で世界ランキング34位のカナダのケリー・デグチ選手に開始57秒に大外刈りで一本勝ちして2回戦に進みました。

パリオリンピックはフェンシング女子フルーレ個人が行われ、日本から出場した選手3人はいずれも初戦となる2回戦で敗退しました。

体の柔らかさを生かした鋭い踏み込みからの攻撃が持ち味の東晟良選手は、初戦となる2回戦で香港の陳諾思選手と対戦しました。

序盤は追う展開となりましたが、第2ピリオドで同点に追いつきます。

東選手は最終の第3ピリオドで一時リードを奪いますが、終盤に連続でポイントを取られ、14対15で接戦を落としました。

また、同じく2回戦に出場した上野優佳選手はルーマニアのマリーナ・カルガレアヌ選手に13対15で、宮脇花綸選手はフランスのエバ・ラシュレー選手に10対15で敗れ、いずれも初戦で姿を消しました。

フェンシングの女子フルーレは、来月1日に団体が行われます。

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