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#天皇家

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#勉強法

自民党の岸田前政務調査会長は、29日、観光バス会社の経営者らおよそ10人とオンラインで意見を交わし、新型コロナウイルスの影響が長期化する中、事業を継続するための要望を受けました。

このあと岸田氏は記者団に対し「さまざまな協力金や支援金が用意されているが、1か月単位など、こま切れの対策が多く、なかなか先が見通せないという声が出された」と述べました。

そのうえで「来年の春まで見通せるような、業種や地域を限定しない、事業規模に応じた、家賃などの固定費への支援を含む数十兆円規模の経済対策を早急に取りまとめ、打ち出すべきだ」と強調しました。

一方、岸田氏は党役員の任期を連続3年までと制限する考えを示したことに党内から疑問の声が出ていることについて「理解できない。総裁すら連続3期までと決まっている。小選挙区制度で執行部の権限が強くなる中、権力の集中や惰性を防ぐことは必要で、党改革をしっかりやりきりたい」と述べました。

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#政界再編・二大政党制

Q そもそも「タリバン」とはどういう意味ですか?

タリバンは、イスラム教の神学校「マドラサ」で学んでいた学生が中心となって結成された組織です。

マドラサで学ぶ学生はアラビア語で「タリブ」と呼ばれ、現地のパシュトー語の複数形が「タリバン」。

みずから名乗ったのではなく、勢力を拡大していくうちにメディアなどを通じて「タリバン」という呼び方が定着していきました。

Q タリバンが結成されたいきさつを教えてください。

タリバンが結成されたのは1994年ですが、その背景を理解するためには歴史は冷戦までさかのぼります。

1978年にクーデターで成立した共産政権内部の路線対立により、アフガニスタンが勢力圏から離れることを恐れた旧ソビエトアフガニスタンに軍事介入し、みずからが後ろ盾となる政権を設立しました。

社会の急速な共産主義化が進められたため、「ムジャヒディン」と呼ばれるイスラム勢力が抵抗を始めます。

ソビエトと対立していたアメリカなどの西側諸国、さらに隣国パキスタンの支援も受けて、旧ソビエト軍は10年後の1989年に撤退に追い込まれました。

しかし、アフガニスタンはその後も内戦状態に突入。

市街戦が繰り広げられ、略奪や女性に対する暴行が横行し、治安は乱れに乱れてしまいました。

一方で、欧米諸国は、旧ソビエトがいなくなったあとは関心を失い、アフガニスタンはいわば国際社会に見捨てられた状況となりました。

そうした状況のなかで、タリバンが結成されたのです。

Q なぜタリバンが勢力を拡大したのですか?

タリバンは、長く続いた混乱を収めるという目標を掲げ、それを多くの人が支持した上、隣国パキスタンからの軍事的な支援も決め手となりました。

パキスタンは、アフガニスタンの混乱が深まれば、多くの難民が自国に押し寄せる懸念があったことや、インドとの対立のなかで、アフガニスタンを安定させ、自国の影響力を及ぼしたいという思惑もありました。

このため、パキスタンの軍の情報機関が中心となって資金や武器を供与し、タリバンは結成から2年後の1996年にカブールを制圧し、国土の大半を支配下におさめました。

Q タリバンは当時何を目指していたのですか?

タリバンの結成当時の最大の目的は内戦で混乱した国内の秩序や治安を回復し、安心して暮らせる社会をつくることでした。

さらに、外国の勢力を排除することも大きな目標です。

それは、旧ソビエトの軍事介入で国が疲弊したという歴史、さらに、タリバン内部にも多いパシュトゥン人の間で、伝統的に「独立」といった価値観が尊ばれていることも影響しています。

タリバンは、イスラム教を軸とした「アフガニスタン・イスラム首長国」の建国を掲げています。

Q なぜタリバンビンラディン容疑者とつながったのですか?

国際的な孤立が原因です。

タリバン政権は女性に「ブルカ」の着用を強制したり、教育や就労を禁止しました。

また前政権の幹部の公開処刑など、極端な行動に出て、国際社会からの支援が得られなくなりました。

そこに、アフリカのスーダンにいたとされるアルカイダビンラディン容疑者がアフガニスタンに拠点を移しました。
代わりにタリバンは、裕福で資金的に余裕があったビンラディン容疑者側からの資金的な支援を得たとされています。

タリバンアルカイダの幹部や戦闘員どうしの家族間での婚姻も行われていたとも指摘されています。

また、タリバンのメンバーは結成以前、共産主義政権と戦っていた際には、アルカイダのメンバーでもあるアラブ系の義勇兵とともに戦っていたため、以前からの戦友のような感覚もあったのではないでしょうか。

Q 旧タリバン政権が崩壊しても、組織は壊滅しなかったのですか?

タリバンアフガニスタンの地方出身の人が集まった組織です。

2001年のアメリカ軍などによる軍事作戦で政権は崩壊しましたが、タリバンの戦闘員は地盤となっている南部など地元に戻りました。

さらに、パキスタンの国境地帯に潜伏したタリバンの幹部をパキスタンの情報機関などがかばっていたと言われています。

パキスタンの情報機関の中にもパシュトゥン人が一定数いることや、過去の支援から、タリバンの幹部たちとパキスタンの情報機関はいわば「顔見知り」となっていて、パキスタンが陰でこうした幹部の生活を支えていたようです。

その後、アフガニスタンでは、新たな国づくりが始まりましたが、次第に汚職が広がるなどしてうまくいかないことが明らかになり、人心も離れていったため、タリバンの勢力は回復していきました。

Q タリバンの強さはどこにあるのでしょうか?

タリバンが地方で支持を広げていることが大きいと言えます。

アフガニスタンの大部分を占める地方部では“女性が傷つけられては家の名誉に関わる”という考え方が残っていて、そうした考え方は女性の就労や教育を禁止してきたタリバンの考え方に近いという実態があります。

また、これまでのアフガニスタン政府では汚職がはびこり、地方では何かあっても行政機関が十分に機能せず、地域の有力者に相談することで解決することも多いのですが、こうした有力者がタリバンを受け入れたり、タリバン自身が物事の解決や、仲裁に乗り出すこともあるようです。

また、学校は教員が足りずに機能しないことも多く、教育をマドラサやモスクが担い、こうしたところの有力者もタリバンと通じていることもあるそうです。

Q 再び権力を掌握したタリバンは何を目指しているのでしょうか?

治安の安定や、イスラム教を基本に統治を行うこと、外国の支配を受け付けないなど、根本の部分は変わらないと考えます。
一方、政権が崩壊した20年前からいるタリバンの幹部は、かつての失敗を知っていますし、いまはSNSなどで外国の情報もわかるので、女性の教育などを認めるべきだと思っている幹部もいるでしょう。

しかし、アフガニスタンの地方社会などから反発が起きることも予想されるため、認めるとも認めないとも言えない状況だと思われます。

タリバンは当初はパシュトゥン人が主体の運動として始まりましたが、少数派の民族も増えていて、これまで行っていたシーア派や少数派の民族に対する弾圧を抑制しようとする意思があるように見えます。

また崩壊に追い込んだ政権幹部とも会談を持つ動きもこれまででは考えられませんでした。

さらに、民族の違いを言わずに「アフガニスタン人」や「国民」ということばを強調していて、共通しているイスラム教の教えを引き合いに出して、規律を守ることなどを訴えています。

今回倒れた前政権も民族ごとの軍閥に支えられ、その間で対立が起きていたことが明らかだったので、タリバンも学んでいるのではないでしょうか。

ただ、末端の戦闘員にまで指導部の考え方が広く共有されているかという点には疑問も残ります。

Q 日本はアフガニスタンにどう関わっていけばいいと思いますか?

アフガニスタンは遠いようですが、日本にとって身近な存在です。

日本はアフガニスタンのインフラや農業の支援に長く関わり、2002年などには東京でアフガニスタン復興会議を開いて、国づくりに協力することを約束しました。

さらに、干ばつで苦しむアフガニスタンの人たちを助けようと、用水路の整備など農地の再生に長年取り組んだ中村哲さんをはじめ、NGOなど民間支援も長い歴史を持っています。

これからアフガニスタンは再び内戦になるかもしれませんし、経済の先行きもわからない状況ですが、常に困っているのは普通に暮らしている人たちです。

一般の人々の生活をどう安定させるのか、何が必要なのか、日本から考えていくことは非常に大事です。

大国はこれまで、さまざまな思惑でアフガニスタンに近づいたり、離れたりしてきましたが、中村哲さんがアフガニスタンにあれだけ受け入れられたのは、かつてのムジャヒディンの時代や旧タリバン政権、その後のアフガニスタン政府のときにも、どの政権かにかかわらず、ずっと農村を支援していたからです。

また、国際社会が関与して安定した社会にしていかないと、アルカイダのときのようにテロの温床となってしまうことも懸念されます。

そのためにも人々の生活の安定が不可欠で、これまでの日本の経験をもとに支援することで、ひいては日本の安全にも寄与するし、日本という国のプレゼンスを高めることにもつながるのではないでしょうか。

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#南アジア

アフガニスタンでは今月26日に首都カブールの国際空港の近くで大規模な自爆テロが起き、アメリカ軍は軍の兵士など多数が死亡したことへの報復として過激派組織ISの地域組織に対し無人機による攻撃を行いました。

これについてアメリカのバイデン大統領は28日、声明を発表し「これが最後ではない。凶悪なテロ攻撃に関与した者を今後も追い続け代償を払わせる」として厳しく対応していく姿勢を強調しました。

そのうえでカブールの国際空港周辺の治安について「テロリストによる攻撃の脅威は今なお深刻で、軍の司令官らからは今後24時間から36時間の間に攻撃が行われる可能性が高いとの報告を受けている」として現地で緊迫した状況が続いているとしています。

そしてアメリカ軍が撤退したあともアフガニスタンから人々を退避させる支援の在り方について安全保障の責任者らと議論した」として31日のアメリカ軍の撤退期限のあとも民間人の退避の支援を続けていくとしています。

バイデン大統領の声明に先立ち、アメリカ国防総省のカービー報道官は記者会見で、アメリカ軍の無人機による攻撃についてISの地域組織でテロ計画の立案などをしている幹部2人を殺害し、1人がけがをしたと発表していました。

アフガニスタンではアメリカ軍の完全撤退の期限が31日に迫る中、フランスやドイツ、カナダなど各国が相次いで自国民や協力者などの退避作業を終えています。

その一方で、今月26日に大規模な自爆テロが起きた首都カブール国際空港の周辺では依然として国外への退避を希望する大勢の人たちが詰めかけています。

ただ、今月15日に武装勢力タリバンが権力を掌握して以降、政府機関の機能が停止しているほか、各国の大使館の多くが閉鎖されているためパスポートやビザなどを取得できない人があとを絶たず、不安の声が高まっています。

国外に退避しようとしているアフガニスタン人の男性は「孤立している。どこに行ったらいいのかわからない。外国のNGOや組織からの公式の書類もないので、国外退避することもできない」と話していました。

退避を希望する人たちが取り残される中、タリバンの報道担当者は「民間空港の再開後、公式の書類がある人は海外に渡航できる」としていますが、アメリカ軍の撤退期限が過ぎた来月1日以降、希望者がビザなどを取得して退避できるかどうか不透明な状況です。

アフガニスタンからのアメリカ軍の撤退期限が今月31日に迫る中、アメリカ国防総省のカービー報道官は28日、カブールの空港に残るアメリカ軍の部隊の一部が引き揚げていることを明らかにしました。

また、アメリ国務省は、今も現地で出国を望んでいるアメリカ人の数はおよそ350人にまで減ったと発表しました。

さらにホワイトハウスは、通訳など地元の協力者などで退避した人は、28日までの24時間で前日の半分のおよそ6800人となったとしていて、撤退に向けた動きが加速しています。

一方で、今月26日、大規模な自爆テロが起きたカブールの空港近くでは、さらなるテロへの警戒が高まっています。

現地のアメリカ大使館は29日、地元に残っているアメリカ人に対して「特定の確かな脅威がある」として、空港周辺からすぐに離れるよう呼びかけました。

バイデン大統領も28日、声明で「今後24時間から36時間の間に攻撃が行われる可能性が高い」としています。

不測の事態となれば、最終段階を迎えたアメリカ人などの退避に影響するおそれもあり、期限までに撤退を終えられるのか予断を許さない状況です。

一方、国防総省のカービー報道官は28日、メディア関係者に対して、異例の報道自粛の呼びかけを行いました。

この中で、複数のメディアが現在、アフガニスタンに残るアメリカ軍の部隊の人数を関係者の話として報じたことについて「通常ではあり得ない要望だと分かっているが、こうした数字を報道するのを控えてほしい。テロリストたちにどれだけの部隊が空港に残っているかを知らせることは、すでにあるリスクをさらに深刻化させる」としています。

アメリカ政府の高官が報道の自粛を呼びかけることは異例で、現地の治安の悪化に神経をとがらせていることをうかがわせています。

#南アジア

#米大統領

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#ロン・ポール

#テレビ

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カツサンドノンアルコールビールを注文。

ロイヤルミルクティーを注文。

マダムは先日、上野の東京国立博物館で開かれている聖徳太子1400年遠忌記念「聖徳太子法隆寺」展を観に行かれたそうである。

菓子三点盛り

水出しアイスティー

夕食は青椒肉絲風、シュウマイ、サラダ、玉子とワカメのスープ、ごはん。

#食事#おやつ

碁聖」と「天元」のタイトルを持つ一力遼二冠(24)に井山裕太三冠(32)が挑む碁聖戦五番勝負は、ここまで2勝2敗と互いに譲らず、決着は最終局にもつれ込みました。

第5局は29日、東京の日本棋院で行われ、午後6時15分、180手までで井山三冠が一力二冠を投了に追い込みました。

井山さんは碁聖のタイトルを奪い、囲碁の七大タイトルの棋聖」、「名人」、「本因坊と合わせて四冠となりました。

一力さんは仙台市に本社がある「河北新報社」でも働く異色の棋士で、去年、「碁聖」と「天元」のタイトルを獲得しましたが、今回、「碁聖」を失いました。

対局のあと井山さんは「ここ最近、なかなかよい結果を残せていなかったので、とてもうれしい。ある程度、追い込まれたときの心の持ちようは、以前よりうまくなってきたかと思う」と話しました。

一力さんは「精いっぱいやった結果なのでしかたがない。来年、戻ってこられるよう頑張りたい」と話していました。

四冠を決めた対局のあと記者会見に臨んだ井山裕太さん(32)は「ここ最近、なかなか結果を出せていなかったが、勝った3局は、まずまず満足のいく内容にできたかと思う」と振り返りました。

また、対戦相手の一力遼さん(24)について「特に去年あたりから安定した勝ちっぷりがすさまじく、思い切ってぶつかろうという気持ちで臨んだ。一力さんのレベルの高さ、精度の高さも感じた」と話しました。

一方、自分よりも若い世代との対戦が多くなっていることについては「先に追い込まれる展開、厳しい内容が続いているが、そういった状況でも自分がベストを尽くしていればチャンスがあることを証明できたと思う。ひとつ、手応えを感じている」としたうえで、かつて将棋の羽生善治九段から、もう1敗も許されないような「角番が続く状況も経験してほいたほうがいいですよ」と声をかけられたことについて触れ、「いろんな経験の中で得るものがある。大変ではあるが、少しずつ成長している面もあると思う。自分自身、まだまだやれるということを証明していきたい」と話し、次の対局を見据えていました。

#囲碁・将棋

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自家製デザートが美味しい!【みやざき晴夜】バイリンガル姉妹

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廣島仁多屋】美味しいおにぎりのヘルシーランチ バイリンガル姉妹

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#テレビ