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『日本国憲法』
1-4・3c

このようなプリュラリズムの個人観に対しても,ポスト・モダンの時代においては,個人はさまざまなネットワークの結び目としてのみ存在し,近代的なアトム的な個人は存在しないとの批判がありうる。そこでの学説は,憲法を説明するようなグランドセオリーを求めることを放棄し,個々の具体的事例での小さな正義を求めるべきだと主張する。

憲法という観念自体が「近代」という時代のプラクティスである以上,ポスト・モダンの現代において,それが一定の緊張をはらんだ存在とならざるをえないことは否定できない。

人間を功利主義的な存在として固定的に見ているのが間違い。
だから、「妥協」「成熟」といった幻想領域に堕してしまう。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080107#1199945158(根本原理)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20071228#1199752620(自己の喪失)