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ふたたび南洲翁の志を
京都産業大教授 ロマーノ・ヴルピッタ
 しかし、南洲翁の場合、正義の志士に対する憧憬が働いていることを否めない。彼が唱えた「新政厚徳」は東洋の徳政の理想そのものである。国を治めるために、為政者はまず、個人として正道を踏まなければならない。正道とは、「身を修するに克己を以て終始す可し」と西郷は断言した。私欲を抱かず、公に奉ずることである。西郷は公的な道徳の根源が私的な道徳であると信じていた。道徳と政治との一致は東洋の伝統であったが、近代の精神は、公私の区別の意識であり、公的政治世界と私的道徳世界とは無関係のものとされている。この考え方は戦後になって日本にも浸透したが、為政者は昔の伝統をある程度に守ってきた。
 しかし、今になってその名残も完全に消え去ったのである。日本が行き詰まってしまったのは、そのせいではないか。西郷が言うように、国家の大業を計るために、「生命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人」は必要である。そんな人材が現れない限り、日本の危機を打開することは不可能だろう。経済がすべてを支配する風潮に左右されている今日の日本に対して、西郷が具現化したあの美しい理念に戻れ、と念願するのみである。

産経新聞朝刊)
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