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経営で本当に大切なのは「合理」と「情理」|冨山和彦 特別講演録|ダイヤモンド・オンライン

私は、多くの場合捨てることにこそ本質があるような気がしています。戦略というのはそういうもので、どうやったって日陰と日なたができるんです。

 マスコミ的正義というのは、常にその一面しか伝えません。でも、実際に経営が直面する本当の苦しい決断というのは、そう単純ではない。そのせめぎ合いの中でどうするかが問われるわけで、理屈や合理では超えられません。人それぞれの悲しみや苦悩と、経営者自身が逃げずに対峙するしかないんです。

 情にも流されず、理に働いて角も立てず、と『草枕』の世界になりますが、「合理」と「情理」、このせめぎ合いの中でどう問題を正反合していくか。多分、そこに経営の本当の難しさがある。経営者が真に問われる能力は、そこにあるような気がします。

 私が見てきた駄目な経営者というのは、情に流される人。一方で情に背を向けて合理にひたすら突っ走る人。村上氏じゃないですけれども、よく、血も涙もない人だと世の中に非難される人がいますが、ああいうタイプの人ほど、個人的に話をすると意外と悪い人はいない。でも一方で、大体共通しているのは、情理に弱いんです。その弱さを知っているから、情理や情念から逃げる。いわゆるMBA的な経営に凝り固まった経営者もどき、自称経営者で失敗するのは、情理から逃げるタイプです。

政治の世界でよく、理念やリーダーシップが大事といいますが、一方で国民一人一人の情念がわからないと、現実には権力を手にできません。

経営者の最大の報酬は、自分以外のいろいろな人々の人生にどれだけポジティブな影響を与えたかということのような気がします。

少なくとも20数年間仕事をしてきた本当の財産は何かといったら、それは私と何か接点を持ったおかげで人生がより豊かになったと思ってくれている、何十人か何百人か何千人かの人たちです。それが私の最大の財産だと思っています。

 経営上の問題には、多くの場合、人間が介在します。リーマンの問題でも、システミック・リスクが起きるかという議論をしていますが、それは客観的に幾ら分析をしても予測不可能です。理由は簡単で、システミック・リスクが起きるか起きないかというのは、最後は金融市場に参加している1人1人のディーラーや、取引にかかわっている人たちの心理の問題だからです。

東大の入試問題でも司法試験でも、正解があって、ちょっと勉強のできる人には答えは出るんです。でも、経営においてトップが決断する重大な問題というのは、10人の会社だろうが10万人の会社だろうが、そう簡単に割り切れない問題です。

 経営者はやはり哲学が大事だということです。志と言ってもいいかもしれません。人間として、ほんとうに何を大事と思っているのか。多分、最後に問われるのはそこです。

 こういった話は経営の先哲が皆語っています。合理と情理について、渋沢栄一翁が、経営の要諦はと問われて「片手にそろばん、片手に論語」と答えています。多分、本質は同じです。片手に経済合理、もう一方で人間学であります。

 松下幸之助さんしかり、稲盛和夫さんしかり。しっかり儲けて、ちゃんと帳じりを合わせろという話と、哲学の話です。ほとんどこの2つに収斂します。

 おそらく、この2つ以外の、いわゆる経営論や経営戦略論で語られているノウハウは、10年もするとだれも顧みなくなるような話ばかりです。ある時代のある状況においては成り立つけれども、状況が変わったら皆が忘れてしまうようなものなのです。

ただ、「情理を尽くす」というとき「情」はここでいう「情理」で「理」は「合理」。
情を尽くせば理に合致するし、理を尽くせば情に一致する。