首相は『悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである』という言葉を引用して「未来は私たちが創るもの。我々が創る。未来は明るい。そう信じて行動を起こす」と宣言した。
しかし、過剰な楽観主義は、危機への準備を怠らせてしまうことを忘れてはならない。
為政者は、楽観論を語っても、心の奥では常に最悪の事態を予期していなければならない。心底からの楽観主義者では首相は務まらないのだ。
現在の政治や経済の流れの源流をたどれば、1989年(昭和64年、平成元年)に行き着くと言ってもよい。
現象だけ見れば、資本主義や自由主義が、社会主義や共産主義に勝ったように見えたかもしれない。しかし、そこに重大な認識の誤りがあったのではないか。そして、自由主義国や自由主義政党が「我々は正しい」と過信したところに問題があった。実は勝負に勝ったのではなく相手が自滅したのだ。
勝者となった新自由主義者(市場原理主義者)は、冷戦時代と全く同じ姿勢で全力で走り出した。新しい時代に対応して自らを変えることを忘れたのである。
新しい進路も明示せず、新しい国家像や世界像も描かずに、ただひたすら今まで通りの手法で突進したのである。