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長いことフランスにいる移民達は、風刺や諧謔の何たるかぐらい知っている。彼らにとって、信仰は、民族や人種と同様、表現の自由で侮蔑や嘲笑の対象にはできないもの。

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風刺は権威や権力、人間の自由を抑圧するあらゆる力に対して、その虚像を破壊する行為。大方のフランス人はとんでもない勘違いをしている。ムスリムにとって預言者ムハンマドは、全く権力でも権威でもない。預言者がいたからこそ自分がある、という存在。それを嘲笑することの意味を知るべきだろう

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パリのグラン・モスケの指導者ならいくらでも風刺して構わない。嘲笑したければすればいい。イスラムに関して風刺すべき相手は、現実の社会でイスラムを代表するがごとく振る舞う偽権威達であろう。

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フランスでは無神論者でもなんの差し障りもないし、いくらでもいますからね。そういう人に、ムスリムにとって預言者ムハンマドがどういう存在かと言っても通じないでしょう。そこから、預言者を風刺して何が悪いということになるのでしょうが、その一線を越えると無言の衝突が始まります。

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フランスで「ユダヤ人」を風刺し嘲笑できるか?ユダヤ人とユダヤ教徒の境目は単純ではない。一致する人もいるし、しない人もいる。この問題は、フランス社会のダブルスタンダードの典型。相手がイスラム教徒の場合には、ひどく威丈高に、あいつら遅れている、という態度で接してこなかっただろうか。

鐘の音@C87火曜日 西て20b

フランスのバカ新聞社と風刺漫画家が宗教を嘲笑し続けたことが寛容な社会を作り上げたのではない。その嘲笑に対して怒りを抱きながらも直接暴力に訴えなかった人々が寛容な社会を作ってきたんだよ。

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↓そう思います。ただ「寛容な社会」ではなかったようです。冷戦が終わる頃から文化や文明の違いを衝突に結びつける傾向は、欧米側でもイスラム世界の側でも急に強まっていきます。

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ハンチントンの『文明の衝突?』が出て一世を風靡した時、危機感を抱いた。彼は、文明の相違から衝突すると主張したが、その理由を示していない。違うから衝突するというだけならいたずらに人の不安を煽るに過ぎない。「文明の衝突」には論がなかった。

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ハンチントンは、一つのシナリオを描いた。後は、冷戦後、新たな敵を探し求めていた欧米の政治家や軍産複合体と、自国の改革からはじかれたイスラム主義者の双方の利害が一致して、シナリオ通りに事を運んでいった。

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昔の話になってしまったが、今から20年ほど前から、同志社に来る前まで、学生達と一緒にフランス、ドイツ、オランダ、スウェーデン、スイスなどを歩き回って移民達、移民支援のNGO、政策立案者に話を聞き続けた。

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今回の事件で電話してきた報ステのディレクターは、20年ほど前にヨーロッパ各地の移民団体を訪ねた昔のゼミ生だった。こういうセンシティブな問題を扱う時、自分で見聞きし考えたことがあるジャーナリストがいてくれるのは心強い。番組に反映されたかどうかは知らないけど。

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当時の一橋のゼミ生は、フランスの各政党に手紙を出して、イスラム教徒移民の統合と世俗主義について問うた。社会党からは「ライシテ(うるさい人がいるので仮に世俗主義と訳します)とは闘争である」という至極もっともで、かつ、ムスリムと溝を深める答えが返ってきた。

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困ったのが国民戦線で、「我々は移民を受け入れない日本に敬意を表する」という返事が来た。まだ、e-mailなどなかったから、手紙である。

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こういう事件が起きると、フランスの国家主義は恐ろしいほどに高まる。

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フランスのメディアから聞こえて来る声には、表現の自由言論の自由は民主主義にとって普遍的な権利だという主張が多い。それはそれで全く否定しないが、フランス共和国国家主義がそれを守っていることも否定できない。

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フランスを自由・平等・同胞愛の国だと思っている人は、ラ・マルセイエーズの歌詞を一度よく読んでみてください。フランスのもう一つの顔が見えるはずです。


内藤正典 - Wikipedia