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開経偈
無上甚深微妙(むじやうじんじんみめう)の法は、百千萬劫(ごふ)にも遭遇(あひ)たてまつること難し。我今見聞(けんもん)し受持することを得たり。願くは如来の第一義を解せん。至極の大乗思議すべからず。見聞触知(けんもんそくち)。皆菩提に近(ちかづ)く。能詮は報身。所詮は法身。色相の文字は、即ち是れ応身なり。無量の功徳、皆是の経に集まれり。是の故に自在に。冥(みやう)に薫じ密に益(やく)ず。有智無智。罪を滅し善を生ず。若(もし)は信。若は謗(ばう)。共に仏道を成ず。三世の諸仏。甚深の妙典なり。生生世世。値遇(ちぐ)し頂戴せん。



欲令衆
諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するがゆえに、世に出現したまふ。衆生をして仏知見を示さんと欲するがゆえに、世に出現したまふ。衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するがゆえに、世に出現したまふ。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するがゆえに、世に出現したまふ。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事因縁を以ての故に、世に出現したまふと為(なづ)く。三界は安きことなし。猶火宅の如し。衆苦充満して、甚だ怖畏すべし。常に生老病死の憂患(うげん)あり。是(かく)の如きらの火熾然(しねん)としてやます。如来は已に三界の火宅を離れて寂然(じやくねん)として閑居(げんご)し、林家に安処せり。今この三界は、皆是れ我が有なり。其の中の衆生は、悉くこれ吾子なり。而も今此の処は、諸(もろもろ)の患難(げんなん)多し。唯我一人のみ、能く救護(くご)を為す。我(われ)化(け)の四衆、比丘比丘尼、及び清信士女(しやうしんじによ)をつかわして、法師(ほつし)を供養せしめ、諸の衆生を引導して、これをあつめて法を聴かしめん。若し人悪(ひとあく)、刀杖(たうぢやう)、及び瓦石(ぐわしやく)をくわへんと欲せば、すなはち変化(へんげ)の人をつかわして、これがために衛護(えご)となさん。
爾(そ)の時に宝塔の中より、大音声をいだして、歎(ほ)めてのたまはく善哉、善哉。釈迦牟尼世尊よく、平等大慧教菩薩法、仏所護念の妙法華経をもつて、大衆(だいしゆ)の為に説きたまふ。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊所説のごときは皆是れ真実なり。


運想
唱へ奉る妙法は 是れ三世諸仏 所証の境界 上行薩埵 霊山別付の真浄大法也 一たびも南無妙法蓮華経と唱へ奉れば 即ち事の一念三千 正観成就し 常寂光土現前し 無作三身の覚体顕れ 我等行者 一切衆生と 同じく法性の土に居して自受法楽せん 此の法音を運らして 法界に充満し 三宝に供養し 普く衆生に施し 大乗一実の境界に入らしめ 仏土を厳浄し 衆生を利益せん。
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