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天上天下唯我独尊 お釈迦様お誕生の時】#法話 #小池陽人の随想録 #仏教 #教え

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衆生が持つ仏としての本質

この仏性が顕現し有効に活用されている状態を成仏と呼び、仏法修行の究極の目的とされている。

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もし自心を知るは
すなわち
仏心を知るなり

仏心を知るは
すなわち
衆生の心を
知るなり

三心平等なりと
知るを
すなわち大覚と
名づく…

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 そもそも主体と理法とを分裂させたのは、義理は後天的に獲得するものとした告子の主張であり、孟子がてきびしく論難したものです。これでは後天的学習を務めて本来性の発揮をなおざりにし、該博なばかりで焦点が定まらないということを、あなたはとうにご存知のはずなのに、どうしてまたこんなことをおっしゃるのですか。(小生が)これを対象に溺れて目的意識を喪失したものと論評したことを、これでもなお、そうではないと否定されますか。小生の主張する致知格物論とは、われわれ主体者の良知をあらゆる主客関係に発揮するということです。われわれ主体者の良知こそがいわゆる天理なのです。われわれ主体者の良知を天理としてあらゆる主客関係に発揮すると、あらゆる主客関係はすべて理法にかなうことになります。われわれ主体者の良知を発揮することが「致知」です。あらゆる主客関係がすべて理法にかなうことが「格物」です。これでこそ主体と理法を結合させて分裂させないのです。主体と理法を結合させて分裂させないということであれば、小生が先に述べたこと及び朱子晩年の主張は、すべて、ことさらに説明しなくてもご理解いただけますでしょう。

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人間は、生まれたときから心と理(体)は一体であり、心があとから付け加わったものではない。その心が私欲により曇っていなければ、心の本来のあり方が理と合致するので、心の外の物事や心の外の理はない。よって、心は即ち理であると主張した。
朱子学のように心と性とを分別しないのが特徴である。朱子学では聖人は学問の研鑽と静坐により達成した人であったが、陽明学では「満街の人みな是れ聖人」(街中の人すべてが聖人)というように、すべての人が本来的に聖人であるとし、その心の良知を静坐により発揮しさえすれば(致良知)、それが聖人の証であるとした。

右目の視力を失った梵天丸(ぼんてんまる)は万海上人の生まれ変わりと言われ、領民に畏敬の念を抱かれます。輝宗は、重臣鬼庭左月の娘で、文武両道に秀でた喜多を梵天丸の養育係とし、学問の師に名僧・虎哉宗乙(こさいそういつ)を招こうとします。ある日、梵天丸は不動明王の顔がなぜ恐ろしいのかを喜多に尋ねます。すると、虎哉和尚から、不動明王は外見と異なり慈悲深い仏であると聞き「梵天丸もかくありたい」と言います。

「心の眼で観れば今も紫色」

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遠い過去と
遠い未来を
つなげるために

答えは はっきり オレの中にある

負けてもそれはかわらない

そのためにオレはいるんだ

「天地の為に心を立つ。生民の為に命(命は一に道)を立つ。
 往聖の為に絶学を継ぐ(往聖は一に去聖)。
 万世のために太平を開く」

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 この意味の「公共の福祉」は、けっして「公共の福祉」の言葉のある本条その他の憲法の規定にその根拠をもつと見るべきではない。
 それは、右にのべられたように、憲法の理念から論理必然的に生ずるところである。憲法が自由国家の理念に立ち、自由権の保障をそのなによりの狙いとしようとするとき、右にのべられたような自由国家的公共の福祉の原理は当然にそこに内在的に伴う。甲の自由権を保障することが、乙の自由権の侵害になることは許されないからである。同じように、憲法が、自由国家に満足せず、さらに社会国家の理念に立とうとするとき、右に述べられたような社会国家的公共の福祉の原理は、当然にそこに内在する。
 日本国憲法がかような意味の社会国家の理念に立っているとすれば、その基本的人権の保障には、右のような自由国家的公共の福祉の原理と社会国家的公共の福祉の原理ーーそれらは二つのものではなくて一つのものの二つの側面であるにすぎないーーが論理必然的に内在しているとに見なくてはならない。
 かように解すれば、本条に「公共の福祉」うんぬん、とあるのは、当然の原則を宣言したにとどまることになる。本条の規定をまってはじめてそうなのではない。

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「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とは、隣人愛・信頼・平和といったような、自主的な人間の結合として成立する民主的社会の存立のために欠くことのできない、人間と人間との関係を律する最高の道徳則――いわばカントが、星をちりばめた天にも比した「胸の内の道徳則」のようなもの――を意味する、と解することができようか。

個人主義は、一方において、他人の犠牲において自己の利益のみを主張しようとするエゴイズムに反対し、他方において、「全体」というような個人を超えた価値のために個人を犠牲にしてかえりみない全体主義に反対し、全ての個々の人間を自主的な人格として平等に尊重しようとする。

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【手放すことの大切さ ~人生の四つの時期~】不動護摩法話:陽人の随想録 須磨寺

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