菅総理は小沢氏の「引き立て役」を演じているというのが私の印象である。
ところがそういう見方をする新聞・テレビがない。小沢氏の総理就任はあってはならないと考えているかのようだ。日本記者クラブで質問をしていた記者のレベルもひどいもので、政治を分かっていないと思わせる質問が相次いだ。ところがその記者たちが「社説」を書いていると言う。そんな「社説」を読まされている国民は政治を判断出来なくなる。
考えてみれば新聞は戦前も戦後も国民の判断を誤らせるために存在している。戦前は軍部という権力の手先として、戦後は霞ヶ関とアメリカの手先として国民を洗脳する役割を担っている。この国の支配者である霞ヶ関とアメリカにとって国民は「知らしむべからず」だから、新聞には判断を誤らせる情報が流され、国民の代表である政治家が貶められるのである。
菅総理のスタンスが明確でない。「雇用」を強調するだけで、路線については曖昧である。小沢氏の路線と似たような事を言う。この前の参議院選挙で自民党に「抱きついた」のと同じ手法である。そして菅総理が対立軸として打ち出してきたのが「政治とカネ」であった。
「クリーンでオープンな政治」を実現する事で日本の「政治文化を変える」と主張した。それを聞いてつくづく官僚がメディアを使って国民を洗脳したマインドコントロールから菅総理も抜け出せていないと思った。
ロッキード事件以来、「クリーンでオープンな政治」を主張する野党とメディアが政治の力を弱め、官僚の思い通りの予算配分を実現させてきた。その「政治文化」を否定しなければ、日本に本当の民主主義は根付かず、冷戦後の複雑な世界を生き抜く知恵は出てこない。