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池尾和人 慶應義塾大学教授 日銀に“政治的判断”を押し付けるな|デフレ日本 長期低迷の検証|ダイヤモンド・オンライン

──日本経済の現状をどうとらえているか。


 はなはだ芳しくない状況が、1990年代から続いている。この長期停滞のダメージは全国民に広く薄くしわ寄せされるのではなく、特定の層に集中している。たとえば、雇用システムの硬直性ゆえに、非正規雇用者や若年層が追い詰められ、それが日本社会の不満、閉塞感を高めている。

──長期停滞の根本原因は何か。


 90年代以降、日本経済を取り巻く国際環境が劇的に変化した。冷戦が終わり、新興諸国が勃興、グローバル資本主義が地球を覆った。競争力を増した韓国や中国が日本を追い上げた。日本は、高機能・高価格商品による差別化戦略で対抗した。2000年代に入って、米国に旺盛な需要が起こり、その戦略は一時成功した。トヨタ自動車の生産台数世界一達成が象徴だ。


 だが、リーマンショックで暗転する。米国1国に世界中のカネとモノが流れ込んだグローバルインバランスの是正が始まった。米国、欧州の高価格商品市場は一気に縮小し、いまや、アジアのボリュームゾーン、普及品市場が主戦場だ。


 そうなれば、戦う土俵は韓国、中国勢と同じでコスト競争になる。消耗戦だ。その結果日本に、賃金に強い押し下げ圧力が働いている。経済が活性化するはずがない。


 日本が世界に誇る大型輸出企業が、こうして競争力を低下させた。他の国内産業の競争力や生産性はもっと低い。これが、日本経済長期停滞の根本原因だ。

──日本全体の競争力が落ちているということか。


 日本経済の実力そのものがへたっている。本来は産業構造を転換、高度化し、製造業中心から知識集約型中心への脱皮を図るべきだった。韓国や中国の一歩先を行く産業構造への転換は、15年ほど前からの課題だった。だが、日本社会は結局それをできなかった。


 もはや日本の潜在成長率が1%前後でしかないことは、コンセンサスだ。テストの点数にたとえれば、日本経済は40点しか取れなくなっている。体調を崩して40点しか取れないのではなく、もはや40点の実力しかないのだ。

──だが、デフレを長期停滞の主因とする見方が再び強まっている。


 公式定義では、デフレは消費者物価指数上昇率が前年同月比マイナスの状態を指す。だが、人によってさまざまな意味を込められ、いまや日本経済の芳しくない状況を象徴する言葉となっている。


 景気回復は09年春頃から緩やかに持続しており、また、デフレも続いてはいるが、急激に悪化したわけではない。それにもかかわらず、デフレ脱却が再び叫ばれ出したのは、長期停滞になんの手も打たれていない現状へのいらだちからであり、それは政治の機能不全と明らかに相関関係がある。

──デフレ批判の高まりとともに、日本銀行批判も強まっている。


 芳しくない経済状況に対し、なんら有効な手が打たれないなかで、日銀がさらに積極的にあらゆる施策を打ち出せば事態を改善できる、という議論が強まっている。だが、国の大元にある経済運営の欠陥が引き起こしたマイナスを全部尻ぬぐいして日本経済を好転させるほどの能力は、日銀にない。


 たとえば、潜在成長率が3%あってなんらかの経済ショックで、現実の成長率が1%に落ち込んだ状態ならば、日銀の金融政策で修正できる。しかし、1%に低下した潜在成長率を3%に引き上げることはできない。経済の実力を引き上げるのは、政治の仕事だ。その根本問題に向き合うことを避け、日銀をスケープゴートにするのは、政治が機能不全に陥っている証明であり、かつ責任逃れだ。


──しかし、与野党共に、日銀に対していっそうの金融緩和を望んでいることを隠そうとしない。


 それは、金融政策に名を借りた財政政策を推し進めるためだ。


 伝統的金融政策は、やり尽くした。これ以上の金融緩和のためには、非伝統的金融政策に踏み込むことになる。たとえば、量的緩和もその一つだ。だがそれは、日銀がエージェントとして実施主体になるが、本質は財政政策だ。

──なぜ量的緩和が金融政策ではなく、実質的な財政政策なのか。


 日銀が、市場から発行済みの国債をどんどん買い上げて、その購入代金を準備預金に積み上げるだけならば金融政策のうちだろう。


 だが、日銀が国債を購入するぶんを新たな国債の増発枠に充てるとしたら、日銀がファイナンスを受け持って、政府が財政支出を拡大する、という話になる。それは、財政政策そのものにかかわる話だ。


 日本は財政民主主義国家であり、中央銀行には財政政策の領域まで踏み込む権限は与えられていない。妥当性は、政治が責任を持って判断しなければならない。


 要するに、日銀の国債引き受けを禁じた財政法第五条にかかわる問題として、国会で議論すべき事項であるはずだ。まず政治が責任を持って判断を示すべきだ。それなのに、日銀に代わりに暗黙の政治的判断を求めるような政治のありようは、責任の放棄に過ぎる。

──潜在成長率引き上げなどの本質論から目を逸らし、デフレ退治や日銀の責任で解決を図ろうとするストーリーはなぜ生まれるのか。


 政治家に限らず、私たちは、不都合な真実を見たくない。産業構造の転換が必要とわかっていても、それに伴う痛みは回避したい。財政問題にしても国民負担率は上げざるをえないとわかっていても、消費税導入の前にムダを省くほうが先だという議論に傾く。


 長期停滞のしわ寄せを特定層に集中させないためには、解雇規制の緩和など硬直的な労働市場の改革が必要だが、既得権層にとっては望ましくない。そこで、誰もがわかりやすい解決願望を満たすストーリーをつくり、本質的問題から目を逸らさせることが有用になる。デフレや日銀は、そのストーリーの格好のキーワードとなった。

──量的緩和に踏み切ったとしても、水準達成に効果はないのか。


 今の日本には、絶対的な意味ではおカネは不足していない。ただし、死蔵されているおカネが多く、活発に動いているおカネは少ない。その結果、デフレになっていると考えれば、動くおカネをいかに増やすかを追求することが大事だ。


 では、全体のおカネをさらに増やすと、動くおカネが増えるのか。量的緩和論者は、そうだと肯定する。だが、私はさらに死蔵されるおカネが増えるだけだと思う。これは、金融政策の効果における非対称性の問題で、「ひもは引くことはできるが、押すことはできない」というたとえが使われる。私は、「小さな子どもに窮屈な服を着せれば成長を阻害する可能性はあるが、ダブダブの服を着せたからといって成長を促進する可能性はない」というたとえを使っている。

──では、成長期待を高めるにはどうしたらいいのか。


 経済活動にとって、最も好ましくないのは不確実性の高まりだ。将来の不確実性が高まるほど、企業は設備投資に消極的になり、家計は貯蓄を増やして消費を減らす。


 その意味で、不確実性を低下させる努力は非常に重要であり、だから、経済の長期展望が必要となる。ところが、この長期低滞の間、5年後、10年後の税制や社会保障のありようを、私たちはまったく政権から与えられていない。政府の経済運営の方向性が示されないことほど、不確実性を高めることはない。これこそが経済の低迷をもたらす政治の機能不全であることの自覚を持ってほしい。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100930#1285819692
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20101004#1286149255
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20100929#1285729683


Twitter 池尾和人 デフレと金融政策をめぐる今回の主張は、いつもと違って ...

デフレと金融政策をめぐる今回の主張は、いつもと違って(失礼!)納得感があるよ。RT @takero_doi: JMMの回答、http://bit.ly/9U8jEi

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20101002#1285982144