森永卓郎 冤罪を生みやすい検察の体質。小沢一郎氏の事件も同じ構図ではないのか。今こそ郵便不正事件の教訓を生かせ。
世間にはこれまでふたつの「検察神話」があった。ひとつは、検察官は社会正義のために戦っているのであり、常に公正無私でフェアな立場にあるという神話だ。
もうひとつは、検察は政府から独立していて、誰からの圧力も受けない存在だという神話である。
前者については大阪地検特捜部の事件で崩れてしまった。
もうひとつの政治の圧力を受けないという神話も、尖閣諸島沖でつかまった中国人船長の那覇地検による釈放で、かなり怪しいものになってしまった。
ここで、何を考えなければならないかだ。いまさら遅いが、私は小沢一郎氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる政治資金規正法違反事件は、やはり冤罪だったのだという気がして仕方がない。
この郵便不正事件と小沢事件は一緒の構造になる。小沢一郎はカネに汚い奴で悪い奴なんだという思い込みに基づいて、事件は組み立てられていった。
しかも、同じことをやっていた国会議員は少なくとも13人いた。それなのに、小沢氏の秘書だけつかまっているのは極めて異常な事態だ。麻生内閣の内閣官房副長官だった漆間巌氏が「この事件が自民党に及ぶことは絶対にない」と言っていたが、その通りになった。
しかも、もうひとつ大きな疑いがある。もともと自民党政権時代に大久保秘書の逮捕が起こったわけだが、民主党政権になってからも小沢氏への追及は続いた。
尖閣諸島沖の事件では、おそらくかなり高い確率で政府の検察コントロールがあったということを踏まえると、やはり反小沢グループが地検の暴走を少なくとも放置したのではないだろうか。わざとやらせたかどうかは別にして、きちんと公正に捜査することにはならなかったというのは、事実ではないか。
「小沢一郎はカネに汚い」という思い込みや、政治的思惑によって捜査や裁判が左右されることになってはならない。今こそ、法治国家としての礎を再確認すべきときだ。