「市政がうまく回るには市民の協力が必要。私も協力していきたいです」。後の代表主将、14歳の言葉だ。
中学時代は選手として無名だった。2年夏から主将についたが、試合に負けること度々。負けず嫌いなこともあり、ひとりで悔しさを押し殺した。独りよがりなプレーは絶対、見せなかった。
サッカー部監督だった滝本義三郎さん(67)は、「自分が、ではなく、常に回りのことを考えていた。あの代は珍しく3年間で1人の退部者もいなかった。大変な指導力でした」と話す。
3年4組の卒業文集。体育大会の思い出をつづった作文には、優勝したことより「クラスのみんながまとまった事のほうが得た物は大きかった」、当日欠席した級友を気遣い「あと1人のぶんまでみんなで支えあえた」−との言葉が並ぶ。