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秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは、17日、中学校を卒業されました。

悠仁さまは、17日午前、東京 文京区のお茶の水女子大学附属中学校の卒業式を前に、大学の中庭で秋篠宮ご夫妻とともに記念撮影に臨まれました。

詰め襟の制服姿の悠仁さまは、集まった報道陣から「中学校ご卒業おめでとうございます。中学生活はいかがでしたか」と声をかけられると、「中学校生活では、休校になった時もありましたが、その中でさまざまな経験をして充実した3年間になったと思います」とこたえられました。

このあと、秋篠宮ご夫妻も見守られる中、同級生とともに卒業式に出席されました。

戦後、皇族が学習院以外の中学校で学んだのは初めてで、宮内庁によりますと、悠仁さまは、3年間で、授業やさまざまな行事を通じた体験、友人との関わりなどから多くを学び、成長されたということです。

特にこの1年は、コロナ禍の中で友人たちと励まし合いながら、授業や課題のほか進学に向けた勉学にも一層真摯に取り組み、実り多い学校生活を送られたということです。

悠仁さまは、来月から筑波大学附属高校に通われることになっています。

悠仁さまは、中学校の卒業文集で、3年間の学校生活を振り返られました。

このうち、1年生で印象深かったこととして、最初で最後の宿泊行事となった英語を学ぶキャンプ研修を挙げ、「英語の技能を高められただけでなく、コミュニケーションの力を身につけ、異なる文化にふれることができました」と記されました。

また、3年生の校外学習で障害者が働く店を訪ねた際には、意見交換を通じて働くことのさまざまな面を知る機会になったとしたうえで、「多様な視点を持ち、考えを深めることの重要性を学びました」と述べられました。

そして、「中学校生活は、途中での休校があり、行事の中止や変更もある中で、何ができるのかを皆で話し合い、工夫をしたことも貴重な経験でした」と記し、「多くのことを学び、思い出に残る充実した三年間でした」と結ばれています。

悠仁さまは、卒業文集で、中学校の学年ごとの目標で使われた「ひらく」と読む3つの異なる漢字を使って、学校生活を振り返られました。
その全文です。

開・啓・拓の思い出 秋篠宮 悠仁

中学校生活の三年間を終えるにあたり、各学年の目標で用いられた漢字で振り返ってみたいと思います。

一年時の漢字は「開」でした。

この学年で印象深かったことに、最初で最後の宿泊行事であった英語を学ぶグローバルキャンプがありました。

英語のみを使った二日間の研修では、授業や英語劇の発表などを通して英語の技能を高められただけでなく、コミュニケーションの力を身につけ、異なる文化にふれることができました。

この学年行事を通して、新たな扉を開ける体験ができました。

二年時は「啓」でした。

この年は、ディベート大会での取り組みが印象に残っています。

あるテーマについて、賛成と反対の立場のグループに分かれて討論を行います。

事前にグループごとに資料を読み込み、両方の立場で意見を伝えられるように話し合いをしました。

ディベートでは、反対の立場の人が納得するように伝え、相手の主張を的確に聞き、それに対して適切に反論することが大事です。

このディベート大会は、準備を含め、相互啓発の場にもなりました。

そして三年時の漢字は「拓」でした。

一学期には、校外学習として、障害者が働くお店を訪ねました。

そこで働いている方々からお話を伺い、意見交換をすることで、働くことの様々な面を知る機会になりました。

その後も学校の活動を通じて、多様な視点をもち、考えを深めることの重要性を学びました。

また二学期には、一年生のときから探究してきた自主研究をまとめ、自分の興味を深めることができました。

これらの経験は、これから歩む自らの道を拓くことに繋がっていくように思います。

中学校生活は、途中での休校があり、行事の中止や変更もある中で、何ができるのかを皆で話し合い、工夫をしたことも貴重な経験でした。

多くのことを学び、思い出に残る充実した三年間でした。

悠仁さまが中学校を卒業されるにあたって、宮内庁は中学校3年間の過ごしようについて公表しました。その全文です。

悠仁親王殿下は、お茶の水女子大学附属中学校に入学されてからの3年間、本日までお元気に過ごされました。授業や様々な行事を通じた貴重な体験、ご友人との関わりなどから多くのことを学ばれ、成長されました。

1年生の途中からは、COVID‐19が蔓延し始め、学校生活や日常生活に大きな影響がありました。そのような中にあっても、先生方の温かいご指導やご友人との交流を励みに、現状でできることを模索されながら、特にこの1年は高等学校進学に向けて勉学に一層真摯に取り組まれ、実り多い学校生活を送られました。

1年生の時には、体育大会や生徒祭(文化祭)などの行事に向けて、ご友人と力を合わせて練習や準備をされました。異文化体験や多様性についての学習では、いろいろな立場の人が同じ社会の中で共に生活していることを実感し、互いに尊重し合うことの大切さを学ばれました。

また、中学校入学後も、小学校の時からのトンボ類の生態の調査を続けてこられました。1年生の夏休みに私的にブータンを訪問された際、日本と近い種類のトンボが同国にもいることをお知りになり、海外のトンボへも関心の幅を広げられたそうです。夏休みの課題作文では、トンボが生息しやすい環境作りについて、日頃からお考えになっていることをまとめられました。

1年生の3学期の後半から、COVID‐19の感染拡大に伴い、学校が休校となりました。休校期間中の前半は、学校から郵送されてくる課題に熱心に取り組まれ、毎日、規則正しい生活を送っておられました。

2年生の5月からは、オンラインによる授業が始まりました。そして、6月に分散登校が始まり、対面授業が再開された時には、先生方やご友人との久しぶりの再会を喜んでいらしたそうです。

2年生の夏休みには、遠出することを控えられていたため、これまでのご旅行を振り返り、特に思い出深い小笠原諸島へのご旅行について、学校の課題作文にまとめられました。その際、観光業を主な産業とする島の方々が、コロナ禍の中でどのように過ごされているのだろうかと心配していらしたそうです。
そこで、現地で知り合われた方々とオンラインでお話をされ、現地の様子をお尋ねになったそうです。そして現在も、小笠原で知り合われた方々とのあたたかな交流が続いています。

3年生になられてからは、学校で進路学習や面談が始まり、ご自身の今後について真剣に考えられていたと伺っています。そして、コロナ禍の中でご友人たちとお互いに励まし合いながら、これまで積み重ねてこられた学びがさらに充実するように、向上心をもって、ひたむきに授業や課題に取り組んでこられたご様子でした。
また、いつでも物事の本質をつかもうとすること、そこから考えを広げていくことを大切にされていました。

3学期は、1週間ほどの自宅学習の期間もありましたが、高校入学の学力検査の準備やその後の学期末テストに向けて、ご自身で目標を立て、普段と変わらず、落ち着いて学習に取り組まれていたそうです。体育大会や生徒祭などの学校行事は、コロナ禍の前とは異なる形での実施となりましたが、ご友人とともに今できることを見極め、よりよい活動となるように話し合いをされながら、取り組まれたと伺っております。

3年間を通して、様々な教科の中で防災や災害からの復興について学ぶことがありました。例えば、総合的な学習の時間では、グループで校内の生徒のための防災ウェブサイトを作り、自然災害がどのようにして起こるか、それに対してどのような備えをすべきか、グループの仲間と工夫しながら取り組まれたそうです。

また、「東日本大震災」と「ものづくり」をテーマとした家庭科の授業では、直接被災地に行くことが難しくてもできることとして、被災地を支援している団体の毛糸や布地を使い、手芸品の製作をなさいました。

また、自宅学習期間中にも、被災地の特産物を使った調理の課題をされました。
総合的な学習の時間における「自主研究」では、3年間を通して生徒一人一人が自分で選んだテーマについて探究するものです。

悠仁親王殿下は、古い「もち米」について調べ、育成し、交配実験によって得られたお米についてまとめられました。以前に訪れられた場所で古くから栽培されているもち米のことを紹介され、その品種については秋篠宮皇嗣殿下からもいろいろとお話を聞かれたようです。

そのようなことから、その後、稲やお米に関する本を読み、昔の人々の工夫や努力によって、今のお米があることに関心を寄せられたことがきっかけになったそうです。3年間の研究の成果をもとに、今後も探究を続けていきたいとお考えのようです。

3月上旬に行われた学習成果発表会では、3年間の「総合的な学習の時間」の集大成として、「社会的な課題の解決」をテーマにグループで発表されました。また、毎年3年生が行う校内清掃には、3年間の感謝の気持ちをもって皆で取り組まれたようです。校外学習もあり、ご友人と一緒に楽しく過ごされ、中学校での思い出を増やされたようです。

また、ご卒業に向けて、卒業アルバム・歓送会委員として、ご友人と一緒に3年間の中学校生活を振り返りながら、数々の思い出が形となるよう、協力してアルバム製作を進められるとともに、歓送会でクラスを代表して仲間とともに在校生への返礼のプログラムを準備し出演されたと伺っております。

ご卒業までの日々を、温かく導いて下さった教職員の方々に感謝しつつ、一日一日を大切に過ごしておられたことと拝察いたします。

#秋篠宮家OUT

愛子さまは、去年12月に20歳の誕生日を迎え成年皇族となられました。そして、大学が春休みに入って学業が落ち着いたことから、17日午後、お住まいの御所で、初めてとなる記者会見に臨まれました。

愛子さまは、冒頭で16日夜遅くの地震について触れ、犠牲になった人がいることについて「心が痛んでおります」と話したうえで、「御遺族の皆様と被災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます」と述べられました。

続いて、成年皇族としての抱負について、当面は学業が優先になると前置きしたうえで、「一つ一つのお務めを大切にしながら、少しでも両陛下や他の皇族方のお力になれますよう、私のできる限り、精一杯務めさせていただきたい」と話されました。

そして、皇室の一員としての在り方について、「皇室は、国民の幸福を常に願い、国民と苦楽を共にしながら務めを果たす、ということが基本であり、最も大切にすべき精神であると、私は認識しております」と述べられました。

その一つとして、愛子さまは、被災地に心を寄せ続けることを挙げ、「苦難の道を歩まれている方々に思いを寄せ続けるということも、大切にしていくことができれば」と話されました。

また、ご自身の性格について問われると、愛子さまは、「穏やか」とか「無邪気」と言われることが多い気がすると語り、長所について「『どこでも寝られるところ』でしょうか」とユーモアを交え笑顔でこたえられるひと幕もありました。

一方、結婚について問う質問には、「私にとってはまだ先のことのように感じられ、今まで意識したことはございません」と答え、理想の相手については、「特別これといったものはございませんが、一緒にいてお互いが笑顔になれるような関係が理想的ではないかと考えております」と述べられました。

そして、去年結婚した秋篠宮ご夫妻の長女の小室眞子さんについては、「幼い頃から、いつも変わらず明るく、優しく接していただいたことを有り難く思うとともに、従姉妹として末永いお幸せをお祈りしております」と話されました。

会見では、今のウクライナ情勢をどのように見ているかという質問も出され、愛子さまは、ウクライナ国内で多くの尊い命が失われていることに、非常に心を痛めております」と答えられました。

そして、天皇陛下が先月の記者会見で述べられた「人と人との交流が、国や地域の境界を越えて、お互いを認め合う平和な世界につながってほしいと願っております」という言葉を引用したうえで、「平和への強い願いを持っております」と述べられました。

会見は30分近くに及びましたが、愛子さまは、事前に用意した原稿に目を落とすことなく、一つ一つの質問にご自身のことばで丁寧に答えられていました。

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#天皇家