https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

平衡系、あるいは価値へのコミットメント 〜そろそろ「政治哲学」に戻りませんか(その3)〜

平たく言えばもはや人知を超えたところでうごめく、この地球(ガイア)のうねりそのものに我が国は巻き込まれてしまったのである。そこで人はもはや“選択”の権利を持たず、ますます暴れまくる地球(ガイア)をただただおそれおののき、これに恭順するしかない。

実は歴史を紐解いた時、人知を超えた何かの力そのものを前提とする「体制」を人類が選択し、それによって日々の営みを続けていた時期があった。「神権政治」の時代である。

いわゆる「戦後民主主義教育」の中で私たち日本人はこうした「神権政治」的な要素を徹底して排除すべきだと繰り返し刷りこまれてきた経緯を持つ。

人知の範囲内で全てが動くことを前提とした「体制」から紡ぎだされる「法」に余りにも従順な集団として選ばれてきた菅直人民主党政権は、「人知の範囲外」を知らないからである。

「人知を超えた世界」によって圧倒されるうねりの中だからこそ、それに直接コネクト(接続)し、さらにはそれに適合的な営みへと人々の生活を適応させることのできる媒介項。これを今や我が国のみならず、加速度的に放射性物質が拡散される世界全体が待ち望んでいるのである。ただしそれは慣れ親しんだ形でのゲームのルール、すなわち「政治思想」としての民主主義とも相容れない限り、人々の受け入れるものにはならないであろう。つまりここに「預言者」と「民主制」、あるいは「政治哲学」と「政治思想」という二つの時に相容れないものをブリッジする原理が求められてくるのである。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20110420#1303291776