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歌舞伎界に試練の時 相次ぐ悲報がこけら落としに痛手 期待は若手の発奮に

 東日本大震災以降、演劇界全体の傾向として、夜公演の集客が難しくなっている。歌舞伎座閉場中の拠点となった新橋演舞場(東京・銀座)では最近、開演時間を30分早めて終演時間を午後8時前後に設定、松竹幹部は「客足は戻りつつある」と強調するが、不況もあって団体客の落ち込みは続く。


 では、危機は深刻なのか。


 演劇評論家の藤田洋さん(79)は「過去には今より悪い状況が何度もあり、歌舞伎はそれを乗り越えてきた」と前向きな視線を示す。


 歌舞伎400年の歴史は、さまざまな危機の歴史でもある。近代では明治36〜37年にかけて、五代目尾上(おのえ)菊五郎、九代目團十郎、初代市川左團次の「團菊左」と呼ばれた3名優を一挙に失った。しかし、それが次世代の奮起を促し、七代目市川中車(ちゅうしゃ)、五代目中村歌右衛門、十五代目市村羽左衛門(うざえもん)らを輩出した。


 昭和20年には歌舞伎座が空襲で焼失。終戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)は「仮(か)名(な)手(で)本(ほん)忠(ちゅう)臣(しん)蔵(ぐら)」を含む主要演目を「封建的で反民主主義的」として上演を禁止し、歌舞伎そのものが存続の危機を迎えた。


 22年に全演目が上演可能になるが、24年に七代目松本幸四郎、七代目沢村宗十郎、六代目菊五郎が相次いで死去した。この苦難の中、先代歌舞伎座は26年に再建され、初代中村吉右衛門(きちえもん)が、復興の旗振り役となって人気を蘇らせた。

 歌舞伎では20〜40代の若手俳優を「花形」と呼ぶ。勘三郎さんの長男、勘九郎さん(31)と次男の七之助さん(29)、團十郎さんの長男、海老蔵さん(35)や尾上松緑(しょうろく)さん(38)、菊之助さん(35)、市川猿之助(えんのすけ)さん(37)らはいずれも「花形」の芯になる存在だ。


 その筆頭、市川染五郎さん(40)は危機に奮起する。「(訃報は)とても残念ですが、一緒に舞台に出させて頂き、恩を受けた人間がどれだけのものをお見せできるか。(芸の)継承とはそういうもの。『危機』といわれるが、それが発奮材料です」


 藤田さんも「若手も人気役者がそろっており世代交代が早まるだろう。若い観客をいかに獲得するかを考えるべきだ」と、歌舞伎を楽しみ、支える観客を育てることが急務としている。