この僧は心と境とを対立的に見ての問い、また趙州和尚の「庭前の柏樹子」の応答を聞いているから趙州の心と境と一体、心境一如の言葉が理解できないのだ。
ただ、庭前の柏樹子、天地一枚の柏樹子である。
祖師西来意だとか、禅だとか、仏だとか、悟りだとかいう小理屈は捨てさった絶対的な境涯、思慮分別を超えた徹底的な「無心」の心を趙州和尚は示そうとしたのだ。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131120#1384944657
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130905#1378379673
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130604#1370352074