「君主の頭脳の程度は、その宰相を見ればわかる」とマキャヴェリがいっているが、蒙古の英雄、ジンギスカンの宰相であると同時に、懐刀(ふところがたな)、側近として、よく、これを輔(たす)け、三十余年の長きにわたって複雑多難な蒙古の国政を運用したのは耶律楚材、その人であった。
幼少のころから儒学を修め、その天稟(びん)の偉大さは周囲から羨ましがられるほどだったが、すでに金の社稷は傾き、頽廃的でなげやりな亡国の風潮が一世を風靡していた。
そんな中にあった耶律楚材は若くして、三界に住するところもなき魂の不安に襲われ、儒学から禅へと転じていった。
そして、万松(ばんしょう)老師の鉗鎚(けんつい)の下で修業している最中にジンギスカンが金の首都、燕京を占領し、二人の邂逅となった。
性急一徹なところはあったが、同時に道理に明るく、竹を割ったような気性で殊に人材を愛したジンギスカンは一見してのめり込んだ。
耶律楚材、二十七歳の秋、内心鬱勃(うつぼつ)たるものがあった。
これに対してジンギスカンは五十四歳。ようやく円熟の境地に達していた。以来、影の形に添うごとく、ジンギスカンのあるところ、必ず、耶律楚材の姿があった。
「馬上、天下を取るべし。されど馬上、天下を治むべからず」