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“組織のトップに「才能」はいらない”優秀なリーダーほどハマる落とし穴とは?|最強の成功哲学書 世界史|ダイヤモンド・オンライン

「項王(項羽)は、彼自身が万夫不当の猛将(将才)なれど、それゆえに優れた将軍を信じてこれに任せる(君才)ということができません。これはただの匹夫の勇にすぎませぬ」


 つまり、項羽には「将才はあれど、君才がないため天下の器に非ず」というわけです。

 この「将才と君才」については、また別の話があります。あるとき、劉邦が「自分はどれほどの将の器であるか」と韓信に問うたところ、韓信は「そうですな。陛下ならざっと10万といったところでしょう」と答えました。では汝は如何にと劉邦は続けて問いました。


「私なら100万の兵であろうが自在に操れます」


「なんじゃと!?余が10万で、そちは100万か。ならばなぜそちは余の臣下に甘んじておる?」


「私は兵を操るのに長けた“兵の将”にすぎません。しかし陛下は、将を使うのに長けた“将の将”です。兵の将では、将の将に及ぶべくもありません」


 つまり、「兵に将たる才(将才)」と「将に将たる才(君才)」はまったく別物であって、組織の頂点に立つ者は、部下を信頼して使い、また部下から慕われていれば(君才)、他の才(将才)などなくてもかまわないということです。というより、なまじ将才があると、かえって君才の邪魔になるくらいです。

 とはいえ、確かに項羽は、敵に対しては冷酷・残忍・無情で、鬼神の如く怖れられていたものの、そうでない者に対しては礼儀を以て臨み、慈悲深く、ときにやさしい言葉もかけ、思いやりも見せました。


 つまり、家臣たちから慕われる要素は充分持ち合わせていたわけです。にもかかわらず、項羽の下を次々と家臣が去っていったのは、「君才に乏しい」だけでは理由として弱いものがあります。そこにどんな差があったのでしょうか。項羽には、致命的な欠点がもうひとつあったのです。


 それが、韓信が指摘した第二の欠点「婦人の仁」です。韓信曰く。
「彼は、部下にはやさしい言葉をかけ、女性のような思いやりを見せることもありますが、いざ褒賞を与える段になると、途端に女々しくこれを渋ります。これは“婦人の仁”にすぎませぬ。これは致命的といってよい項羽の欠点です。大王(劉邦)が天下を望まれるならば、彼の逆を為せばよろしい」


項羽の逆、すなわち「家臣を信頼して仕事を任せ、功に対しては惜しみなく恩賞を与える」ことです。

得たものはなくなり、
与えたものは増える

与えよ、
さらば与えられん

項羽の二の舞にならない解決策はひとつ。自分の懐に入れておいてもどうせ消えゆくのですから、消えてしまう前にどんどん周りの人に感謝を込めて与えてしまうのです。得たものは、100%自分の力のみで手に入ったものではないはずです。必ず周りの人の助力、援助、支援があっての成果のはずです。ならば、報酬は入った先から、お世話になった人に惜しみなく与える。

劉邦は、なるべく戦わぬことを心掛け、戦わざるを得なくなったときもなるべく敵に降伏を促し、降伏した者には所領を安堵し、功を成した者には、得た領地を惜しみなく与え続けました。そのため、全国から優れた人材が集まり、各地の諸侯が忠誠を誓うようになり、与えた財が何倍何十倍にもなって劉邦の下に還ってきたのです。

 組織のトップに立つ者は、特別な才能などなくても構いませんが、部下を信頼して使う度量と、他人の利益(利他)のために尽くすことが、結局自分の利益(自利)になることを心得、功に基づいて惜しみなく与えることが大切だということを、両雄の人生から学ぶことができます。

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