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『聖書講義』
P384

 イエスにとって、この世的な時間的に消滅しさるような地位や財宝による、平和などは、とるにも足らぬものであったのです。彼にとって必要なことは、永遠の生命を人々に悟らせることであり、瞬間瞬間的に変滅するような平安を彼等に与えるためではなかったのです。イエスと民衆との心の行き違いは、瞬間的な平和感の中に生活しようとする者と、永遠の平和をこの世にもたらせようとする者の大きな相違にあるので、エスを讃仰する民衆の幾人もの者が、イエスの真意につき従ってこられるであろうか、とイエスは大群衆の歓声の中にあって、ひとり悲しい想いで、エルサレムの宮に詣でたことでありましょう。しかし、これも神性のまだいくらも現れていない人間の世にあっては致し方ないことであります。エスのみならず、古代からの聖賢はみな一様に、こうした民衆との違和感で悲哀の生涯を送ったのであります。孤高なる存在は、この世的には常に寂静とした生活をするより他なかったのです。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20120502#1335968776(知識人の悲哀)