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利とは何か? | 安岡正篤を読む―占い師・右京の開運ノート☆

今日も同じこと。皆利を追って暮らしておるが、利を求めて却(かえ)って利を失い、利によって誤られて、際限なく怨をつくっておる。それは利とは何ぞやということを知らぬからである、利の本は義である、ということを知らぬからである。従って本当に利を得んとすれば、如何にすることが義かという根本に立ち返らなければならない。これは千古易(か)わらぬ事実であり、法則である。そこで人間は与えられておるところの精神というものを大いに活用して、行為・行動に精を出さなければいけない。―(「利について」より)

利と義 - 一燈照隅

利というものは各人自己に都合のよいことでありますから、どうしても他とどこかで衝突するわけです。否、自分自身の場合でもやがて矛盾が起こる。すべて自然は自律的統一体で、各己が他己と相関連し、そのまま全体に奉仕するようにできておるものですから、自己のわがままを許しません。利はちっとも利にならないのです。

経済と道徳、利と義というものが両立しないもののように考えるのは、もはや笑うべぎ愚見であります。いかなる物質的生活問題も、すぐれた精神、美しい感情、たのもしい信用などにまたなければ、本当の幸福にはなれません。経済の安定、まことの成長というものになりません。


技術の発達に伴う経済的国際化が各国民の差別をなくすように思う人がございますが、これも浅はかであります。それは国民の特質をなくすことではなくて、国際的進歩に和して、いかにますますその国民の特質を発揮するかということが大切であります。機械的・物質的経済をもって、国民の将来を決定するなどと考えてはなりません。国民の将来を決定する真の力は、常にその国民の精神的・人格的努力であります。心ある人々は、どうしてもこの「義に喩(さと)る」ということが大事であります。利ということばかりを考えておってはついに利になりません。利によって行えば、まさに自他共に怨が多い。

論語の活学―人間学講話

論語の活学―人間学講話

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140710#1404990251
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