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【特別版】日本の敗戦から69年目に想う|野中郁次郎のリーダーシップ論 ― 史上最大の決断|ダイヤモンド・オンライン

チャーチルアイゼンハワーは、時間的空間的にかなり深く広く過去と未来を見ていたものと思う。『史上最大の決断』のサブタイトルに「賢慮のリーダーシップ」とあることからもおわかりのように、だからこそ、チャーチルアイゼンハワーのワイズ・リーダーシップには大いに注目したのである。

 政治力にはいろいろとあるが、その中でも、私はアイゼンハワーの「親和力」が重要だったと考えている。

 別の視点から付け加えると、上陸戦が成功裏に終わるために重要だったと思われる要因の1つに米軍の柔軟な人事制度があると思う。これは6つ目の能力に関係がある。アイゼンハワーはこの柔軟な人事制度の恩恵を受けただけでなく、それによって有能な人材を活用できた。


 例えば、アイゼンハワーは、航空機の免許を自分でとって操縦する、創設時の戦車隊に配属されパットンと共に戦車を熟知するなど、さまざまな経験を若いころに積んでいる。昇進こそままならなかったが、自由度のある環境を享受していた。平時の米国陸軍ではそれだけの余裕があったということである。


 しかも、いざ戦時となると、テンポラリープロモーションという臨時昇進制度が適用された。役割に応じて手柄を立てて、どんどん昇進を積み重ねていったのだ。普通は、戦争が終わったらまた元の階級に戻るものだが、アイゼンハワーの場合には結果を残したこともあって昇進していったのである。

 一方、旧日本軍はこの反対だった。『失敗の本質』においても指摘したように、旧日本軍の人事というのは非常に硬直したものであった。戦況がいかに悪化していっても、能力や実績ではなく年次で決まる年功序列で人事が行われていた。なぜそうなるのか。それは日露戦争での勝利以降、その危うい勝利の分析をまともに行わないまま、平時の発想で官僚的な人事を軍部が行ってきたからである。米軍のような柔軟さが戦時には威力を発揮するのだが、日本軍にはそうした発想すらなかったのだ。

 この図は、現象学者ドレイファスの提唱した技能獲得のプロセスの5段階を図にして示したものだ。


 職業人として、新入社員の時代からエキスパートと呼ばれる存在になるまで、われわれはさまざまな経験を積む。このプロセスは、職人道そのものである。つまり、愚直に日々努力して高みを目指すことだ。


アイゼンハワーが認められるようになったのは、彼もまたこの愚直な努力を繰り返したからにほかならない。究極の卓越性を求めて日々精進すること。目先の効果効率を追求する現代においては、案外難しいことなのかもしれない。それでも努力できるかどうかが、凡人と非凡の分かれ目なのではないだろうか。

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