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中村氏 「多くの人に支えられ 夢が実現」 NHKニュース

中村さんは、教授を務めるカリフォルニア大学のサンタバーバラ校で日本時間の8日未明、受賞が決まったあと初めての記者会見に臨みました。
最初に、壇上でシャンパンで祝杯をあげて同僚たちと喜びを分かち合ったあと、中村さんは「とてもうれしい。多くの人たちに支えられてここまできた。夢が実現した」と語りました。
中でも、以前勤務していた「日亜化学工業」の創業者で社長も務めた小川信雄さんを恩人として挙げ、「社長のところに行って青色発光ダイオードを開発したいと言ったら小川さんは『いいよ』と即答し、開発資金を都合してくれて留学もさせてくれた」と打ち明けました。
また、中村さんは、受賞が決まったとの連絡を受けたときの状況について「半分寝ていました」と述べて、会場に集まった人たちの笑いを誘うなど、ユーモアたっぷりに質問に答えていました。

中村氏 「もちろんうれしい 非常にうれしい」 NHKニュース

物理学賞に選ばれたことを初めて聞いたときの様子については、「午前2時すぎぐらいに家で寝ているときに、ノーベル賞を取ったという電話がありました」と述べました。
そのうえで「ノーベル物理学賞は、基礎理論で受賞している人が多いと思っていました。私は青色LEDという装置を作っただけで、基礎理論ではないので、半信半疑でした」と話しました。
また、赤崎さんと天野さんと共に選ばれたことについて、「お互い切磋琢磨(せっさたくま)してやってきたから、同時にもらえて非常にうれしく思います。自分が好きなことを見つけるのが非常に重要だと思います」と述べました。

【ノーベル物理学賞】会社への怒り、事業への怒り「怒りがすべてのモチベーション」中村さん激白 - 産経ニュース

 −−研究を始めた約20年前に(ノーベル賞受賞を)思っていたか


 「まったく考えていなかった。会社(日亜化学工業)に入ったときには赤色LEDだけを扱っていて、売り上げもよくなかった。会社の人には赤色LEDを推されていた。いつまでたっても売り上げがよくならなかったので怒った。(日亜化学創業者の小川信雄)会長に『青色LEDを作りたい』と言ったら、『いいよ』とお金も出してくれた。海外に行ったこともなかったので『1年間留学したい』といったら、それも『いいよ』と。たった5秒の会話だった。米フロリダ州の大学に留学した。留学して分かったことは、米国では博士号が大事だということ。それがなければ、ただの実験助手。日本に戻ってきたときは、博士号を取るのが夢だった。LEDが夢ではなかった(笑)」

 −−日本の研究者が海外、特に米国に出てしまうことはどう思うか


 「米国は研究者にとって自由がある。アメリカン・ドリームを追いかけるチャンスがある。日本だとそういうチャンスはない。今でも、性別や年齢、健康状態などによる差別がある。日本の会社で発明したとしても、ただボーナスをもらうだけ。米国では何かを発明すれば、会社を立ち上げられる」


中村修二 - Wikipedia