https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

明石元二郎の勝利 | ロシアNOW

 だが肝心なのは、ロシアで政治的危機が深刻化しており、革命の瀬戸際にあったことを明石がよく弁えていたことだ。


 それというのも、皇帝とその一家眷属は大地主であったため、ロシア経済の農業、資源に依存した性格を維持しようとしていたからだ。


 ロシアはバター輸出を誇っていたが、電気製品、プラントから果てはミシンにいたるまで、当時のハイテク製品はすべて輸入するか、外国企業がロシアで現地生産していた。


 しかも、農業部門の伝統的な低賃金は、工業部門でも基準になっていたので、労働者は給料に不満で、社会の緊張は急激に増していった。一方、企業家のほうも、皇帝一族に対する苛立ちを募らせていった。またロシアの周辺部の各民族も、専制への不満を強めつつあった。


 そして、民族主義と反政府の運動には密接なつながりがあり、そのコーディネーターの一人が明石だったという次第だ。

 彼の努力の主な成果は、日露戦争に際してロシア社会のかなりの部分が、むしろ日本に同情したことだ。1905年、ロシアでは「ロシア陸軍の将校に告ぐ」と題されたパンフレットが非合法で広められたが、そこにはこう記されていた。


「諸君の勝利はすべて、ツァーリ専制を固める恐れがあり、逆に敗北はすべて、解放の時を近づける。ロシア人が、我々共通の敵の成功を喜ぶとは驚くべきことではないか」

 日露戦争はロシアを、20世紀の世界の資本主義システム中枢から弾き出し、東アジアにおける工業化のリーダー役は、長く日本が担うこととなった。