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私はシャルリじゃない パリ・デモ参加の牧村朝子さん | カナロコ

 私はあの行進で「平等」という言葉が出てきたことが大事だと思います。


 事件をめぐっては「表現の自由」か「宗教への冒涜でありヘイトスピーチ(差別扇動憎悪表現)である」という議論になっているけれど、その前に「平等って何だろう」ということを考えた方がいい。


 みんながみんな「表現の自由」を叫べるほど平等な世の中ではないからです。「たかが女の言うこと」「どうせイスラム教徒の言うことだ」と耳を傾けてもらえない人がいます。表現の自由を振りかざせる人と振りかざせない人がいる。日本でもフランスでも、世界中のどこでも。

 テロの容疑者は死んでしまったので想像でしかないけれど、彼らは「表現の自由」を使える立場にいなかったのではないか。暴力という手段を選ばざるをえなかった立場。もちろん容疑者が社会的弱者であっても暴力が許されないことには変わりありませんが。


 事件を受け、フランス国歌を歌う人、フランス国旗を掲げる人に聞きたい。「フランス人」って誰のことだと思っているのですか、と。フランスは「自由・平等・博愛」を標語に掲げているけれど、「本当に平等は実現されているか」「表現の自由をみんなが享受できる社会なのか」ということを見詰め直すべき時だと思います。

 フランスの歴史上、風刺は権力を笑うことで弱い人のためにあり続けました。シャルリエブドも国民から愛されている週刊紙です。


 フランスのメディアの多くは今回のテロを「表現の自由に対する攻撃だ」と主張しています。それを感情的だとは思いません。


 でも、風刺に対する批判に「これは文化なんだ」「表現の自由だ」と主張することで相手を黙らせることは許されません。それこそが自由の精神に反している。批判をつぶすのは他人の自由を奪うこと。「私はシャルリ」と言う自由はある。でも、同意できない人にそう言わせる自由はないと思います。


 「私はアフメド」と主張する人もいる。シャルリエブド本社が襲撃された日、逃走する容疑者に撃たれて殉職したイスラム教徒の警察官の名前です。自分のことを笑いものにした人であっても、相手の表現の自由を守る。これが表現の自由を守るということの本当のあり方だと思います。