『釈尊のこころ (松原泰道全集) 』
P174
ある日、コーサラ国王のパセナーディは、愛する美しいマッリカーをつれて城の高楼に登り、眼下に広がる雄大なコーサラの山野を眺めていました。
そのとき、王は何を思ってか、妃に問います。
「マッリカーよ、この広い世の中に、あなたは、あなたよりももっと愛しいと思う人があるだろうか?」
彼女は、思いもよらぬ夫の王の問いに、しばらく考えていましたが、思いつめた面持ちで答えて言います。
「王よ、この世にあって私には、自分以上に愛しいと思われる者はございません。自分が最高に愛しいのです。あなたさまは、いかがでございますか?」
パセナーディは、王妃からそう言われて、
「そうだな、そう言われてみると、私にとっても自分が最高に愛しいと思うよ」
と、すなおに答えます。
王と王妃の二人の考えは、はからずも同じでした。しかし彼も彼女も、この結論に間違いがありはしないだろうか、と不安になりました。それは、日ごろ教えを聞く釈尊の言葉に違うように感じたからです。
そこで、パセナーディ王とマッリカー妃とは連れ立ってジェータ林に止まっておられる釈尊を訪ねて、先の対話のありのままを釈尊に報告して、教えを請うのです。
釈尊は「この世の中に、自分自身以上に愛しい存在はない、自分がいちばん愛しい存在である」との二人の結論を聞かれて、深くうなづきます。承認するのです。しかし、なお不安に思う王と王妃とに、理をわけて釈尊はこう答えます。
「あなた方は、自分より愛しい者は他にない、との結論に達した。それは正しい考え方である。しかし、正しいその考え方を、もしも、あなた方二人だけに限るなら、誤った考え方になるであろう」
「なぜなら、あなた方以外の誰にあっても、みなそれぞれに、自分を最高に愛しい者だ、としている事実をよく見すえるがよい。あなた方の領土の住民の誰もが、あなたと同じに自分を最高に愛しい者と思っていることを忘れてはならない。であるから、自分を最高に愛しいと知ったら、いたずらに他を害してはならない」と。
私は、「自分が自分を最高に愛するように、他もまた同じ考えを持っている。だから他を害してはならない」という釈尊の一言に、平和の本当の理念が宿されている−−と信じるのです。