河上和雄さんは東京都出身。
昭和33年に検事となり、東京地検特捜部時代にはロッキード事件などの捜査を担当しました。
昭和58年には東京地検特捜部長に就任し、その後、佐賀地方検察庁の検事正や最高検察庁の公判部長などを務めました。
平成3年に退官して弁護士になったあとは、大学教授やテレビ番組のコメンテーターとして活躍したほか、オリンパスによる粉飾決算事件では会社が設置した経営改革委員会のメンバーを務め経営再建策の審査などに当たりました。
河上さんは先週になって体調を崩し、東京都内の病院で治療を受けていたということで、7日、敗血症のため亡くなりました。