祖師西来意 - Wikipedia
庭前柏樹子 (無門関) - 禅語に親しむ
「祖師西来意」とは達磨大師が仏教の真髄である禅を伝える
ため、インドからはるばる中国へ来られた意味とは何か!ということなのだ。
ということから祖師西来意は禅の真髄を意味する語として用いられる。つまり
この問いは「禅」とは何か、「仏」とは、「悟り」とは何かという事である。
祖師
西来意だとか、禅だとか、仏だとか、悟りだとかいう
小理屈は捨てさった絶対的な境涯、思慮分別を超えた
徹底的な「無心」の心を趙州和尚は示そうとしたのだ。
他人の批判はできても、自分の批判はなかなかできません。他人のことを論ずるより、まず自分を見つめなくてはいけません。理想を高く持つならば、より足下をおろそかにしてはいけません。
おのれこそ、おのれのよるべ、
おのれをおきてだれによるべき、
よくととのえられし、おのれこそ、
まことえがたき、よるべをぞえん
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150825#1440499225
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141116#1416134306
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131122#1385117664