コラム:中国発の市場混乱は「長期停滞論」の追い風か | Reuters
ここ2週間の世界金融市場の動乱は、経済の「長期停滞論」を唱える論者にとっては追い風と言えそうだ。「長期停滞」仮説は1930年代末に経済学者のアルビン・ハンセン氏が提唱したのが始まりで、ラリー・サマーズ元米財務長官が2年前に形を変えて復活させた。
サマーズ氏の主張によると、先進国の潜在成長率は数十年にわたり低下を続けている。人口の高齢化、グローバリゼーション、オートメーション化が相まって賃金、特に非熟練労働者の賃金は押し下げられた。従って、社会の貯蓄欲に比べて新規投資需要は不足しており、結果として先進国経済が耐えられる「自然」利子率は低下し、マイナスに沈んだ可能性さえある。
この理論が正しいとすれば、貯蓄者が虎の子を拡大できるような金利で民間企業が資金を借りた場合、利益を上げられるようなプロジェクトは多くないということになる。公共投資を増やさなければ世界は長い不況に突入し、その中で持続不可能な投機バブルが散発するだろう。
批判派は長期停滞論を、2008年の金融危機以来の世界的な超低金利を正当化しようという試みに過ぎないと一蹴する。民間投資の低迷は需要不足が原因ではなく、ゼロに近い借り入れコストが誤った資本配分を招いたせいだと言う。
8月11日に中国人民銀行が突如として人民元を切り下げたことは、この論争にとって試金石となった。小幅な切り下げではあったが、これを契機に、未だに極端に低い米国の実質金利は跳ね上がった。
上昇の度合いはどの程度だったのか。長期の自然利子率を反映する20年物インフレ連動米国債の利回りは0.85%から1%に上昇した。これだけの変化でも、株やコモディティの幅広い売りを誘発するのには十分だった。MSCI世界指数は2週間で10%下落した後、やや持ち直した。
これほど小幅な変化を機に、投資家が株式の推定価値を数十億ドル単位で引き下げるという事実は、憂慮すべきである。金融危機以前、長期実質金利は2%が常態だったが、投資家は現在その半分でさえ受容できなくなっているようだ。
自然利子率が本当に下がっているとすれば、中央銀行が現在利上げを実行することは「危険な過ち」だとサマーズ氏は訴えている。ヘッジファンド、ブリッジウォーターのマネジャー、レイ・ダリオ氏は米国が金融政策の正常化を試みれば1936─37年の二の舞になると予想する。米連邦準備理事会(FRB)は当時、わずか0.5%の利上げに踏み切った後、再び利下げに追い込まれた。今回FRBが踵を返すとすれば、さらなる量的緩和が行われるというのがダリオ氏の見立てだ。
こうした見方はまだ少数派に過ぎない。8月の市場の動乱は、純粋なパニックだった可能性もある。米国の利上げ開始時期をめぐる不透明感は大きいし、株価は割高感を強めていて小幅な利上げでも売られやすい状態だ。ドル高は新興諸国からの資本逃避を招いた。中国政府の意表を突く人民元切り下げを考えれば、過度な調整が起こるのも無理はないかもしれない。
長期停滞論は現実世界において証明されていないだけでなく、仮説としても未だに疑義を差し挟まれている。ハンセン氏の分析は大恐慌を取り巻く悲観論に影響を受けたもので、結局は完全に間違っていたことが判明した。批判派は、同じ罠にはまれば、ただでさえ数年にわたる実質ゼロ金利によって弱体化した金融システムが一段ともろくなると警鐘を鳴らす。量的緩和をこれ以上拡大しても、資産バブルを引き起こすだけで、持続的な成長や程よいインフレ率の達成には寄与しないだろう。良い例が日本だ。低利の資金があふれ返っているというのに、経済は行方を見失っている。
しかし長期停滞論は日本の例を持って決着するわけではない。証明するのは中国になるだろう。中国が厳しい景気減速に陥っているとの懸念が行き過ぎであれば、資本流出はいずれ潮が引く。人民元切り下げの圧力も和らぎ、コモディティ価格は上昇して世界的デフレの脅威も後退する。FRBは金利を正常化し、長期停滞論は馬鹿げて見えるようになるだろう。
しかし中国の苦境が深まるようなら、長期停滞論の提唱者は旗色が良くなる。早い話が、中国は工業生産能力を拡大するために世界中の過剰貯蓄をごっそりと吸い上げた。それが今終わったのだとすれば、世界経済は問題を抱えることになる。その時には少なくとも、長期停滞論が単なる空論ではない可能性を認めざるを得ないだろう。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150901#1441103954
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150831#1441017397
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